げろババロア食わせたお袋

「けんちゃん、あんた絶対一番になんなきゃダメだでえ〜!」
お袋はいつも私に「一番」になれと言った。
「あんたはね、できるだでぇ〜。絶対にできるだから〜。」
と言って、負けることを決して許さなかった。
「あんたはね〜、他の子とは違うだから〜。がんばれば勝てるだから〜。」
そう言って、私がもともとそこに生きているだけで、人より優れているのだと、そう教えられて育った。

たぶん、なんの根拠もないと思うけど。

でも、だから私は、いつだって、誰よりも自分の方が力があり、誰よりもより良い結果を出せるのだと信じていた。完全に。
だから水泳の上達も早かった。マラソン大会でも一番になるのは当たり前でしかなかった。完璧に洗脳されていたのだ。
水泳を始めた頃は、私より速く泳ぐ選手など、どこにでも沢山いた。
全然一番じゃなかった。
でも、がんばれば一番になれる事はわかっていた。お袋にそう言われ続けていたからだ。
だからどんどん上達した。私より速かった子供が、みるみるうちに私より遅くなった。年上の絶対にかなわないんじゃないかって思えるような大きな体の選手にも、どんどん追いつく。私はどれほど私より速い選手を見ても、追い抜くのは時間の問題だしかないと思っていた。
そして追い抜いた。
気がつくと追い抜く人がいなくなり、日本人で一番早く泳ぐ選手になっていた。
私はオリンピックに出たいと、本気でそう思ったことは、本当にない。一度もないのだ。
私は、お袋の言うとおりに、ただ一番になろうとし、常に勝とうとしてきただけだった。
日本チャンピオンになって、追う側から追われる側に変った瞬間、まったく水泳に対する興味が消えた。もう勝っている。もう一番だ。もう追う人もいない。だからやる事がなかった。
米川先生には、「オリンピックで金メダル取るんや!」と教育されていたが、私は全然その気がなかった。だから、オリンピック選考会で、私の種目に日本がエントリーしてくれなくても、オリンピックに出れなくても全然悔しいと思わなかった。
私は、私が一番になると、本当に嬉しそうにするお袋の顔を見たかっただけだった。
親父も、おじいちゃんも、どんな試合でも応援に訪れ、私のレースでの優勝の晴れ姿を、お喜びしてくれた。
私が水泳に努力してきた理由は、私が私自身の為にやったことではなく、両親が喜ぶ顔を見たいから、両親にいい子だと思われたかっただけだったのだ。
小学校時代は、毎日日記を書かされた。
「あんたはね〜、文章を上手に書けなきゃだめだでえ〜!」
「心を込めて書くさや〜。読んだ人が感動するように書くだで〜。」
毎日書き続けているうちに、自分の気持ちを文章にしたり、言葉にすることが上手くなった。また、何かに関してそれを言葉で伝えようとするテクニックを覚えた。
だから今でも、仕事でもなんでも、言葉を書面にすることに自信がある。だから仕事でもプライベートでも、文章系はすべて私が任される。実にめんどくさいが・・・。

43歳にして、私は、私の現在の人格や、性格、考え方の癖、才能などを考えた時に、お袋の私に対する教育方針と、私への教育に対する情熱が、そのほとんどを形成している元になっていることがわかってきた。

現在私は、仕事においても、何においても、自分が本気でがんばれば、出来ない事など存在しないと、心の底で、本気でそう思っている。恐ろしいほどの自信家なのだ。
そして、自分の腹8分目あたりの目標設定を立て、軽くやってしまう。80%程度の力で済む目標であっても、周りから見れば、感心されて、褒められる事も多い。仕事の業績では、一定の評価を勝ち得る。
だが100%あるいは、120%・・・、200%という完全夢中な状態と言うのは、このところ数十年経験していない。
20年以上、120%の努力など、経験していないのだ。社会では、それで済んでしまって来た。
いや、がんばると逆に、「出る杭」となり、居心地が悪くなる事が多いのだ。周りからの反発や、妬みなどが増え、実にめんどくさい。
そうして、いつのまにか私は小さくまとめる生き方を覚えた。

お袋はそういう教育ではなかった。
一番になれ、一番じゃなきゃ意味がない、2番、3番は、どれだけがんばっても浮かばれない。そういって、私を囃し立てた。それが苦しかった事も事実だし、その事でお袋を恨んだ事もある。
しかし、今私は43歳になっても、自分に自信のある男でいられるのは、お袋の熱のこもった私への強烈な教育方針のおかげなのだろう。
私は、小さくまとめる事を覚えた20年間の間に、家庭を持って、子供を授かった。5人の子供。だから知らぬ間に、子供への教育に対する情熱に、遠慮してしまったかもしれない。
自分が歩んできた苦しかった道のりを、子供には味あわせたくないと、勝手に子供の可能性を押さえこもうとしてきた。子ども自身では気づけない部分の事だから、私は少し子供に期待してみようと思う。

世間ではずっと、子供に期待するのはいけないというような、甘えた教育現場の構造が、いわば当たり前になりすぎた気がする。お袋に言わせれば、「よその子じゃわかんないけど、うちの子は特別なんだってできるだよ。違うだから〜。母親はわかるだかんね〜」と言って、そんな甘ちゃん教育まったく聞く耳持たないだろう。

43歳でわかってくる事も多い。両親が健全なうちでよかった。

お袋には恨みがあった。何でも一番を求められ、そのプレッシャーにいつも押しつぶされそうで、この歳になっても、そのトラウマから脱却できない・・・・。そんな風に思っていた節があったが、間違えていた気がする。
あのお袋のおかげで、私はどれだけ最高の青春時代を謳歌出来たことか。学校でいつも、強いヒーローでいられたのは、お袋の育て方のおかげだった。
勝負で勝ち、常に一番で、何をやっても本気でがんばれば、絶対に成功できるという自信を植え付けてくれたのは、他でもないお袋だったのだ。

お袋は、孫達にも一目置かれる怖い存在でもある。ほとんどはやさしいおばあちゃんでしかないが、教育に関することとなると、今でも適当な事は許さない。ある意味まだまだ現役だと思わされる。

しかしなんであんな母親になったんだろう。不思議だ。お袋はどんな育ちだったんだろう。  謎だ・・・・・。

ピアノも習っていた私。そのおかげで部下や友人の結婚式などで、弾き語りを披露する事が出来るようになった。
ピアノの基礎のおかげで、ギターなどの楽器類の覚えが早かった。
音符を読めるので、今からでも時間はかかっても、曲を新たに弾けるようになることもできる。

もう一度、子供たちに、ピアノのレッスンに行かせようかな。
経費かかるなあ〜