再会の形 ②

今日、約35年ぶりのある方から、Facebookで連絡をもらった。前出での日記で、「ねしょんべん」について書いたが、ちょうどその1年後あたり頃だと思う。米川先生率いる私達選手は、年末になると、必ず合宿を行った。小学校3年生か4年生の頃だったと思う。

当時は、学校が冬休みになると、スイミングクラブの施設内で1週間程度の合宿となる。1日に2度〜3度の練習だ。小学生の子供には悪夢でしかない。
しかし、その合宿はある別のチームと合同で行われる事が多かった。F女子学園のそのチームは、中学生の女の子達のチームだった。合宿は辛く苦しいものだったが、小学生の自分にとって、やさしく遊んでくれる中学生のお姉さんは、憧れの存在であり、家族と一週間離れるさびしさや、腕が上がらなくなるまで泳ぐ練習の苦しさを、本当にやわらげてくれる存在だった。
今でも忘れられない2人の方がいる。川崎さんと、中村さん。2人のお姉さんは、合宿が終わった後も、しばらく文通してくれたやさしい方達だった。私はまだ小さかったから、彼女達を、女性としては見れていたわけじゃなかったが、姉や妹のいない、男兄弟の私にとって、年上のやさしいおねえさんの存在は、「憧れ」という言葉を、一番純粋に言えた時期だったかもしれない。
そのころにはやっていた歌謡曲は、沢田研二の「勝手にしやがれ」や、郷ひろみの「禁猟区」や、太田ひろみの「九月の雨」だった。
練習の合間に体育館に流れていた有線の曲。
「九月の雨」を聞くと、あの頃のことを思い出して、胸がつまる。
その後も、水泳の試合会場で会うと、茶色いスーパーの紙袋一杯にお菓子を差し入れしてくれたり、いつも可愛がってくれた。
わざわざ、東京から静岡に住む私に、バレンタインのチョコレートを送ってくれた事もあった。



次第にお互い成長し、川崎さんも、中村さんも、高校、大学と進学し、ほとんど顔をあわせなくなった。
私は水泳の記録を伸ばし、トップクラスになると、完全にコミュニケーションをとる機会もなくなった。
しかし、時々ふと思い出す。あれから35年近く経った、43歳となった今までの間にも、何かの拍子にあの頃を思い出して、懐かしく思ったものだった。

今日、Facebookを通して、あのころぶりに、また再会できたことは、私にとって、小さい頃の自分を思い出すきっかけとなったし、年上のお姉さんをまだ純粋にあこがれていた、綺麗な自分を思い出すことになった。それがなぜかとてもすがすがしい気分になれることだった。
中学で東京に出て以来、いいことも悪い事も沢山あって、私は過去の自分を思うと、後悔と反省の日々だから。

あまりに熱くメールに返信してしまったから、川崎さんは戸惑ってしまったかも。(笑)

川崎さん、中村さん、あの頃は本当にありがとうございました。とても美しい思い出です。
やさしくて暖かくて、とてもいい匂いだったのを覚えています。


今日は2時間かけて姫路まで行きました。車の助手席で、部下と話をしながら、スマートフォンで必死に返信しました。
運転をしてもらった部下に、「丸高中華そば」で、大盛りラーメンをおごりました。
経費かかるなあ〜