大切な友人

原発はその存在がすでに「人災」なのかもしれない。
しかし、今回の原発の事故は、天災による事故だと思う。
想定していなかった規模の地震津波だなんて、そんなの電力会社のつまらない言い訳でしかないだろうが、私は勝手な事を言える立場にない。電気を散々満喫して暮らしてきた。今、政府を批判したり、誰かを攻撃するやり方、発言の仕方は、浅はかな人のすることだ。
悪い意味で子供のやり口だ。ずるい。言いすぎだろうか。

マイケルサンデルの本で、哲学を簡単に、考えやすくした本がある。「これからの正義についてかんがえよう」と言う本。

原発の現場で命を賭して仕事をしている人間達に、ヒーロー扱いなど、した事もないし、私はむしろ、そんな軽く考えてもいない。次元が違う。
語るに厚かましい。彼らは日本人だ。この国の文化と倫理の中で生きている国の鑑である。
一方で、彼らが30人であろうが、彼らを犠牲にして、地域住民40万人を救うのが「正義」なのか。命の重みはその「数」によって変わるのか。30人の生命を守る為に、あの原発を放置して、40万人以上、場合によっては、日本国民も、世界の国々にも、放射能物質を拡散させたりしても仕方ないと、そうやって事を始末すべきなのだろうか。

違う。あそこの日本人は、だまされて命を懸けているんじゃない。使命をおびて、仕事をしているんだ。被害を最小限に抑える為に、自分の命と、自分の家族の将来を賭している。
ちゃんと判断して、危険を察知して、ギリギリの判断を繰り返し、交代しながら最悪の事態を回避すべく、決死の仕事をしている。原発の所長は、残るも非難するも、自己の判断に任せたという。こんな時に自己の判断なんて言ったらダメじゃないか。特攻隊の立場と同じになりゃしないか?

しかし、もう時代が違う。この使命は、彼らを決意させたのだと思う。それを賛美したいわけじゃない。応援したいだけだ。そこに行ける人は、君達しかいないから。
君達と、自衛官と、ハイパーレスキュー、機動隊・・・。特殊な訓練を耐え抜いてきた誇れる職のあなた達にたよるしかない。

そうでない人。
原発の存在や、現在の政府の対応に不満があれば、自分で立ち上がって変えるべきだ。小さい事からでいいし。
そうやって努力している人も社会にはたくさんいる。そういう人達がする発言は、貴重だ。

私は部下に、いつも言う事がある。これは私が責任者となる部署で、必ずスローガンにする言葉でもある。

「改善の義務は現場あり」

会社に不満があるなら、現場「社員」がそれを変える義務があると言う事だ。不満を言うだけのことに「正義」はない。それを変えていく努力を行動を持った者に、発言の機会と権利がある。

原発も同じだ。その存在が人災な原発に、いま不満を言う権利は薄いと思う。発言は大切だろう。けど、もう少し待てよ。だって、散々楽しんで暮らしてきたんだ。電気消費を。電車乗って楽して旅行して、パチンコやって、夜中に踊って、酒呑んで、オール電化して・・・・。悪いことしてきたわけとも言えないだろう?そうやって進化してたんだ。ただ、これからは考えなきゃいけないんだよ。反省が必要だと思う。

今日は俺の大切な昔からの友人に宛てる日記。
彼は本当に昔のままだった。ある発言を読んで感じた。いい男なんだ。いい奴だ。沢山世話にもなった。
全然変わってないって思って、嬉しかったけど、
変わっていないがゆえに、俺も伝えたい。
「俺は、少し変わっちまったよ。けど、悪くなったって思えないんだ俺。だから、この日記読んで、俺の気持ちを聞いてくれ。」