研修

先週末は東京本社で2日間、財務と損益の関連する研修と、上司の人格形成やあるべき姿などについて考えさせる為の研修を行なった。

我社の過去の研修は、ある研修代行会社に概ね一任し、情意研修などにおいては特に、一定の恐怖統制的な背景があり、個性を潰し、洗脳教育的な背景が見え隠れするところがあった。
その為、それらの媒体から得た研修内容に影響されるところが多い自社研修が多く、受けた側の社員からすると、それらの研修からくる影響は大きく3つの影響となって現れた気がする。

ひとつはそれらの研修内容と恐怖統制にウンザリし、会社を好きになれないまま結果的にフェイドアウトして退職していった者。

ひとつは完全に洗脳され、そのお陰で自身で考える自己解決能力を損なわれ、挙句には、様々な【案】を生み出す能力が消え、意見することに恐怖し、完全なイエスマンになってしまった者。

ひとつは、表ヅラでは洗脳されたふりをしつつも、自己論理と自己の倫理観を胸に秘め、業績には実直に立ち向かい、自分を失わないまま力を着実に付けていった者。



要は誰に何を強制強要されても、その意味するところの真意を理解し、想像、イメージできなければ、現地現場で学んだこと活かすことは出来ず、効果となって現れることはないのだから、結局のところ、人は必ず自己の総合力と知恵が問われるということなのだ。




過去の古い研修を乗り越えてきた先輩社員はすでに50歳を越え、今や会社に残る責任者クラスのほとんどはこの世代に相当する。
そして我社のこの世代は、部下への強制強要へのこだわりが心因的に深く、言うとおりにならない後輩部下に対して、怒りという形で上司の姿を表してしまう人が実に多い。
幼い時に親から虐待された子供が、大人になってから自分の子供に虐待を繰り返してしまうという影響、トラウマに良く似ている。
私も数年間、前出の民間外部研修機関の研修を受けた。
当然学べることも多かったが、その軸になる倫理が恐怖統制であった為、そもそも会社が社員に要求する情意統制の求める質が、恐怖によるものなのかという事にだけ、私は失望感を隠せなかった。






しかし我社も人事部が画期的な研修内容とその手法、倫理を大きく変化させ、大いにレベルアップした。
そもそも研修の目的は、その研修内容を如何に日常の仕事に活かし、効果を出せるかにその今般的な目的がある。
そのような意味では、今回の研修は実に現場に役立つ内容だった。
ノウハウや知識やシステムでは人は動かない。
人が動いてみようかと思えるキーワードは、私は【イメージ力】だと思う。
そのイメージが実に華やかに広がるような、今回はそんな研修であった。
私は過去、特に会社が外部機関に委託した時の研修の内容は、たとえ自身が学びがあっても、自社に帰ってからそれらを部下に伝えたり披露したり、指導したりすることを躊躇し、ほとんど内に秘めてきた。
その理由は、あのテンションと倫理観を、現場に持ってきて展開したら、きっと部下はみんな、疲れきってウンザリし、チーム力どころか、いつこの会社を辞めようか・・・などとそんなことを考えるようになるのではないかということを懸念したからだ。

しかし現人事部は周到に準備された、実務的でワクワクする研修の手法を用い、参加者の参加意欲を高揚し、現地現場に帰ってからも、すぐにその成果を活かすことが出来る。
事実私は、月曜日からすぐにその学んだ内容を、各セクションのリーダーに指導し、楽しく伝え、能動的に目的と目標を導き、その手法を共に考えることを行なった。
それがとてもエネルギーに満ち溢れていたお陰で、あっという間に各部署の実務社員達に落とし込まれ、より深い説得力を以って、業務改善と品質改善に勤しむ集団に変化し始めた。

日頃からその姿勢はある組織体にしてきた自負はあるが、その強いベースがあってからこそなのか、インフルエンスをほんの少し落としただけで、あっという間に全社員が感染し、熱を発し始めたのだ。

これこそ研修である。




私は研修を受けている間ずっと、【帰ってからどうやって部下にこれを伝えるか】についてを、ずっとイメージしながら受けていた。
そのイメージは研修中もますます広がりを見せ、私自身の想像力までが膨らみ続け、これからどの程度の期間を使ってじっくりと生かしていこうかと考えると、その想像の範囲が想定できないほどの内部的効果が想像できる。
より強い集団を作り、思慮深い集団となり、総合力を蓄え、社会へ貢献する。その意義が人にはある。


我社の創業者は、部下の教育では、【怒る】のではなく、【教える】のだと言う。
まったくその通りだと思うが、実態としては、現在の50歳台以上の責任者クラスは、実に怒りっぽく、恐怖によって部下に、【イエス】と言わせ続けることを指導だと勘違いしている人が多い。
それは違うと思います・・・・とでも言おうものなら、反逆者扱いをするのが、50歳以上の世代の現実だ。

長い間私はこの世代をお付き合いをし、過去と、現味でも一部、上司としてお付き合いしている。
自分の考えが全てで、イエスと部下が答えることだけが正義と思ってしまう上司では、部下は自己の能力の半分しか発揮できない。
やもすると、ほとんど個性を活かすことも出来なくなり、言われたことだけを怒られないように必死に隠しながらやるという、悲しい仕事の毎日となる。
そのことに気づかない上司が多いように思う。

私もそういった上司に毎日頻繁に悩まされている。

それでも仕事は続く。

せめて私の部下は、思慮深く引き出しの多い人格者に育って欲しいと思う。そのために、私が出来ることは、その上司に相応しい人格形成のため、常に自己研鑽に励むことだろうと思う。