進学
この世は不条理ばかりだ。
そして人の世は悲しいことばかりに思える。
しかし生きていかなければならない。
自分の心臓が自分の意思では動かせていないように、この世に生を受けて産まれ、生きていること自体も、また自分の意思ではなく【生かされている】ということなのだろうから。
息子は今日、公立高校の受験だ。
2番目の志望校を受けることにした。
それは彼が自分の意志で決めたことだが、決める背景には他の兄弟の問題が微妙に絡み、授業料の高い私立に行くことで、妹たちの進学に金銭的影響をかけたくないと判断したのだろうと思う。
子供が多いことを良く言ってくれる人は多いが、兄弟が多いということは、すなわち経費が莫大であるということ。
子供には金は残せないが、教育は残してあげたいと、そう思いつつも、この国の教育には莫大な金がかかる。
政治家は、子供の教育に手厚い社会保障をかけるのではなく、投票率の高い年寄りの喜ぶ社会保障を選択してきた。
医療保険。
介護保険。
払い込んだ以上の年金。
すべてはもうすぐ死ぬ人に、働く現役世代や教育の必要な子供達が犠牲となっているのがこの国の社会保障制度の中身である。
言わずもかな、社会保障は現役世代の多大な税金で成り立っている。
愚民は国に、何でも集る。
もらえるものはもらいたい。そういって、政治や社会保障に対する不満ばかりを言う。
あげく、どれだけのインチキ生活保護者が増加したことか。
長女の音大の4年間の授業料の高いこと高いこと。。。。
奨学金が、授業料の全てをまかなえる訳ではないことを知った。
おまけに年収の高い私は、おりる奨学金の枠や種類も限られている。
今までがんばって、いい給料をもらえるように出世してきて、子供が多いからと、必死に働いて金稼いで来たら、逆に奨学金が出ねえってことだったとは。。。。。
俺だって子供が1人、2人だったら、医大だって入れてやれる。
まあ俺の子供が医大にいけるわけない事はわかるけど。
でも5人の子供がいるのだから、我が家は奨学金でまずは進学し、その後に私の稼ぎや家族の助け合いで、全員の子供たちを大学卒業まで応援しようと、そういう考えで来た。
ところがいきなり一番初めの長女で、莫大な授業料であることがわかり、尚且つ奨学金がまったく足りず、2割程度にしかならないのが現実だった。年収にも相当し、大台を超えている。
末っ子にピアノを習わせたいという親の気持ちを汲んで、第2志望の公立を選んだ長男は、やっぱり、さすが兄弟思いの我が家の跡継ぎだ。
でも、どんな選択であっても、私が親として付いている限り、素晴らしい人生に導いてやる。それが私の使命だ。
困難な道があれば、それは乗り越えるという課題があるだけ幸せなことなのだから。
水泳部のない高校へ進学し、受験で休んでいた水泳を復活し、公立の高校に水泳部を作ることを、また目標とすればいい。
実現すれば、水泳部の初代となる長男は、私の自慢の息子だ。
春日部共栄高校の水泳部は、ほぼ私と田川が初代と言っていい。
3名先輩が居たが、全員実質帰宅部だった。
そしてすべて、私たちが最初から作ってきた。
初年度のインターハイで優勝を連発し、学校の名を全国に売り、理事長にプールを作ってもらった。
次の年、数人だった水泳部は数十名になった。
さらにその次の年、水泳部は100名以上の大所帯となった。
素晴らしい経験だった。【無】から【有】を生み出すことの喜びは、そこに関わって努力して成しえた者にしかわからない喜びかもしれない。
子供には高校時代までは色んなことを助けてやる。
もちろん長い人生どこまでも、背中をそっと支えてやれる親父でいたい。
そして俺はその背中を見せてやろう。
息子を導く俺の背中を見せてやろう。