大人になること

近所に娘の同級生家族がいる。

ご主人も奥様もとても楽しい人でよく一緒にパーティーをやる。

ご主人は私と違って話があまり上手ではなく、でもそれが私にとっては【口数の少ない男らしさ】として魅力的であり、奥様は【賢さ】が私にとっては話の深堀りになって、どんどん楽しいお酒が進み、時間の経つのを忘れる。

妻はこの奥様が好きで、近所では一番仲の良い友達のようだ。
もともと腹の割った友達のいない妻にとっては、どこまで腹を割っているかは別にして、色んな事を割りと話せる大切な同世代なのだろうと思う。



そもそも私もご近所づきあいが嫌いだし、社交辞令で接するのは苦痛でしかない男なのだが、このご家族は、両親のみならず、子供たちも我が家の子となんとなく似たような周波数で、安心していられる。
週末になると、一緒に酒を飲んだりするのが少し楽しみになってきたりしいているのは、私にとっては初めてといっていいくらい珍しいことでもある。


きっといづれにしても、このご家族は、私のような人間と楽しい時間を過ごしてくれる人格者なのだろう。

今回のご家族以外でも過去、子供たちの同級生の奥様が数人、我が家へ来て、私も一緒に酒を飲んだこともあるし、決してめずらしいことでもないのだが。。。。。。





しかし女性の話を聞いていていつも思うことがある。

妻でもあり母でもある立場の女性が、一定の年齢になると誰でも同じモードになるのは、一貫して【夫の悪口と不満】である。

どうしてそんなに怨んでいるのかと思うくらい、何から何まで悪いことは【夫のせい】であるかのようだ。



住んでいる環境が悪いのは夫のせい。。。
お金が足りないのは夫のせい。。。
自分がシワが増えたのは夫のせい。。。
家事で疲れるのは夫のせい。。。
昼寝できないのも夫のせい。。。


夫が家でテレビを見ていると怒りに震える。。。
子供の教育がうまくいかないのは夫のせい。。。
家事洗濯を一切手伝わない事に怒りを覚える。。。
イビキがうるさい。。。
太っている。。。
とにかくむかつく。。。。。

など。



そのわりには自分で解決したり判断したり決断したりすることは出来ない。それはお前がやれとばかりに、重要になればなるほど力がない女性もいる。

逆にそういう事にまったく頼りにならない夫もいるだろうけど。





しかしそういう話になると、私はいつも【自分の心の問題を人のせいにしても何も解決にならないよ】と言うニュアンスの話をする。
賢いこの奥様は、私の話が物凄くよく理解できるようで、深く納得してくれるし、もちろん私の刺激になるような話もくれる。

だが、夫に対する不満だけは解決しない。

どうしても許せないようだ。

そして妻もその奥様に同調する。。。




このような話のとき、妻も他の奥様と同じ事を言い、同調し、私に不満を【怒りの表情】でぶつけてくる。
そして私は驚く。。。



(ええ〜〜??そんなに俺に不満だらけだったのか〜〜〜!!!)



子供たちの多い我が家では、掃除洗濯7人前、毎日の食事、学校の宿題、明日の支度、お風呂に入れる、食事を摂らせる、着替えさせる、ドライヤーをかけさせる、早く寝かせる、朝起こす、着替えさせて顔表せて朝食を摂らせる、亭主も起こす。。。。。

やることがハンパじゃないのだが、ある日の台所でついに妻が、
『このうちの人は誰も手伝ってくれない!』
と言い放った。


それから私は、食器洗い、洗濯物を時々畳む、日曜には時々掃除を手伝う、何か気がついたら手伝う。。。。。などと、手伝って欲しかったのならそう言ってくれよ。。。という気持ちで言われずとも手伝うようにしている。

多分そんな風に始めて1年弱くらいだろう。





だが一度もありがとうとは言われたことがない。

感謝の言葉が聞きたいと言うわけではないが、私ならきっと言う。
だが人に求めるのは、お天道様の下では正しいことではないと自分に言い聞かせ、妻に対して不満に思わないように気持ちを切り替えてきた。





男の場合、奥様方から盛んに不満を言われ続けても、同列で言い返さず、むしろ素直すぎる反応をしてしまい、必死に言い訳してしまう。
いわば自己防衛に走り、逆説的に妻を責めることをしない。
倫理のかけらもない、屈辱的な不満をぶつけられても、感情でくだらない誹謗中傷を受けても、同レベルでやり返せないのだ。


夫は妻を傷つけることを恐れるのだ。


妻は夫を傷つけたくてやっているが、夫はそれができない。
やり返せない。



主婦の夫に対する不満は深く広い範囲に渡る。

それもか、あれもかと、どんどん湧き出てくる。

家事を手伝わないことが不満だったのかと、手伝うように夫が自分を変えても、今度は違う不満が新たに出てくる。

不満に終わりはない。

夫に対する不満や、男が自分の思い通りにならないストレスを無くす方法は、3つしかない。

ひとつは自分が変ること。
人のせいにせず、人に求めず、まずは自分が変ること、自分が成長することが、不満がなくなる方法である。

もうひとつは、相手を違う人に変えること。
離婚してもっと自分の理想的なタイプ(家事手伝いお得意の主夫みたいな人)をみつけ、自分が年老いても一緒になってくれる物好きの若い男を見つけることだろう。

最後は、子供も夫もいない世界でひとりでノビノビ生きること。
子供や亭主の世話を焼くこともなく、家族の洗濯物も、食事も、何もする必要のない世界で生きることだろう。



どれも出来ない人は、どれも実現できない。



私は必要に応じて自分を変える。いや、正確に言うと変るのではなく、受け入れ、出来るようになり、咀嚼できる人間へ成長する。。。ということ。


結婚するとき、妻は私のために、一生懸命尽くすからと言った。
それを私は真に受け、家事を一切してこなかった。
でも妻は実際、私にとても尽くして来てくれた。
今でも多くのことで、私を支えてくれている。

だがその妻の初心が、最近になって家事の少しくらい手伝ってくれよ。。。という状況に環境が変化したのだ。
私はそれを受け入れ、自分が変らなければ妻がパンクする。。。と、自分が変化すべきだと言うことを学んだ。
そして苦痛に思わず、自然に食器洗いが出来る夫になるべく自分の心と戦った。

なぜ、たかが食器洗いでこんなに大げさなことを言うかと言うと、中学2年の13歳の時に、親元を離れて寮生活をし、そこで11人分の食器洗いと掃除洗濯を、毎日毎日し続け、その時代にそれ以外にも感じてきた苦しみが、いつの間にか大人になってから、まるでトラウマみたいになって私を苦しめて来たからだ。

食器洗い洗剤と、食べ物の油が混ざり合うあの匂いが、私はどうしても苦手となり、その匂いをかぐと、えずくようになってしまっていたから。

あの匂いを嗅ぐと、あの中学時代の苦痛の毎日を思い出し、
たばこの煙、
シンナー、
使いっ走り、
両親からの差し入れを全て先輩に取られる屈辱、
3時間以上の夜中のマッサージ、
深夜のマージャンの音、
数時間に渡る正座、
たった一人の後輩との確執、
高熱でも一人きりだった日々、
人への怒り、
自分への怒り、
自己嫌悪。。。。。

そして日本一にならなければふるさとに帰れないと決めた水泳。。。。。(結局ちょこちょこ帰ったけど)

そういう見えない何かが、怒りや、苛立ち、悲しみ、むかつき、屈辱、どれを言ってもまだ足りない、複雑な気持ちになって、主婦の仕事、【家事】を受け入れられない自分となってしまっていた。
結婚したのだから、もう二度と食器洗いをしなくていいのだと、そう思い込んでいた。





しかし最初は苦痛だったのだが、46歳にもなるとちょっと台所に立ち続けてみたら、だんだん平気になっていくのが、自分でも良くわかった。

(ああ。。。懐かしい感覚。。。成長してるかもなあ。。。)

なんて自分を振り返ったりしているうちに、段取りも思い出し、スピードも抜き方も思い出し、次の日に家事を残さないように、妻が寝た後でも火事をこなしたりすることが出来るようになった。


小さな変化だと思う。






しかしその後も何度か妻と口論になった事があるが、全くと言っていいほど、妻は機嫌が良くならない。
手伝いがまだ足りないのか、食事作りもやれってことなのか、仕事を6時の定時で切り上げて、家に早く帰って家事しろってことなのか、それがわからない。
まったく感謝もされていないし、むしろ嫌味と受け取られている気もする。
妻は人に【借り】を作ることを極端に嫌う。


私が食器洗いをしていても最近の妻は平然と携帯をいじっている。


それはほんのわずかな妻の息抜きであろうから、まったく不満には思わない。

いやむしろ、そういう時間を作ってあげたいと思う。

そりゃあ他にも、妻への文句や意見の違い、考え方への不満、力量へのストレスなど、言い出せばきりがないが、根本的に不満ではない。

その場で流れていく程度の問題でしかない。



しかし女性は違う。
いくら夫が手伝っても変化しても、すぐにまた違う不満が湧いて出てくる。
とにかくいつも、主婦は夫に怒っている。

いやどの主婦もみんなと言う訳ではないだろうけど。


そしてこちらが我慢の限界を越え、
『いい加減に気づけ!!!』
と、バシッと言うと、いじめられたみたいな顔をし、
ほらやっぱりわかってない。みたいにするから男にとってはやるせない。
正しいことを言っても間違いにされてしまう。
男はただ脱帽するしかない。そして肩を落とす。






私は妻に不満がない。
ときどき文句言いたくもなるが、最近では文句も言わなくなった。
機嫌を損ねることの方が後で疲れるから。
でも不満はない。
私好みの綺麗な顔立ちに、出会ったことの本当の妻は優しくて、今でもたまに、一瞬優しい顔をすることもあるし、何より好みの女性。
そして言い尽くせない物語を持つ二人の歴史。
他の誰にも何にも変えがたい。自分が多少変化するくらい、なんてことはない。




ども家庭にも不満はあるだろう。

それを誰かのせいにしても自分は絶対に幸せになれない。

自分が怒ることなく、穏やかに生きる為には、子供や夫や妻を、自分の思い通りにしようなどと思わないことだ。

そのためには、自分がその程度で怒らない、その程度で恨まない、倫理、道徳観を持ち、立場に見合った人格者となること。。。

それが優一の方法である。

それは大人になること。。。とも言えるのではないだろうか。