監査

昨日今日と監査。
外部の監査法人によるものだ。
しかし今回は本当に大変だった。監査対象となる資料の準備の指示が来たのが15日の午後3時。全部で80件に渡る請求データの関連資料をすべて準備するのに与えられた時間が1日と数時間のみ。
異常だった。

こんな時こそ、仲間の力を結集させなければ乗り切れない。
グループの別の事業についても同時に監査が行われたが、そちらさんはチームワークが悪いせいか、担当者が一人でピリピリ状態。
関係ないのに、こちらにまでピリピリムードで首を突っ込む。
雰囲気にのまれている証拠だ。

それに比べれば、私は本当にいつも部下に恵まれている。
今回も、すべてのポジションの責任者たちが、すべてに優先して監査の準備に努めてくれた。
すべての陣頭指揮を私がとった。わからない事もあったし、紛失している資料や覚書、どこにいったか不明な契約関連の書類、内容に不備がある書類もあった。
しかし、その度に、私は自分が外部の監査員から監査やインタビューを受けているイメージをしながら、決断をした。

リーダーに必要な決定的な要素のひとつに、「決断」がある。
些細な事に思えるかもしれないが、私の担当事業で監査上の不備やカテゴリーAに相当するような問題が発覚すれば、他のエリアの監査対象が一挙に増加したり、最悪の場合、監査証明の剥奪もありえるのだ。

こんな時、私が不安な顔をするわけにはいかない。
「大丈夫だ。俺にまかせろ。俺を信じろ。」という態度でいなければ、部下が不安になる。
「不安」は良い仕事の敵だ。しかし「恐怖」は良い仕事の味方になる。

本当にみんな良くやってくれた。休日返上で準備してくれた部下もいた。
本当にありがたい。休日はかならず代休で与えてあげたい。
休日返上したせいで、家族にも負担を与えたろう。
申し訳ないし、本当に感謝している。

私はいつも、部下に恵まれている。本当にいい部下たちに出会う。
だから自分も自信を持てるのかもしれない。いや、間違いない。

一人一人、全員がかわいい。いとおしい部下ばかりだ。
どこかの映画で「俺にいるのは部下じゃない!仲間だけだ!」というセリフの映画があったが、私は仲間という意識がないわけじゃないが、彼ら、彼女たちを堂々と部下と言う。
上司には相応の責任と義務があるからだ。
ただ威張っている上司や、決断を部下のせいにしたり、いざという時に力をくれない上司にはなりたくない。
嫌われたくないからじゃない。お天道様に申し訳ないからだ。

恩師に教えられた私の倫理観だ。いつも完璧じゃないだろうし、常に理想的かどうかはわからない。しかし、「真摯」に向き合い、自ら示して行きたい。

私は自分の失敗も、部下の失敗も同じように、一切隠さないようにしている。特に自分の失敗はなおさらだ。むしろその失敗を披露して、助けてもらう。頭を掻きながら。芝居でもある。

監査の結果は見事に「一切の不安要素はありませんでした。内部統制は行き届き、業務に実践されていることがわかりました。」というクロージングだった。ほっとした。
結果が良かったから言う訳じゃないが、自信はあった。過去にISOの審査を受けてきたことが良かったのかもしれない。

部下の協力には改めて感謝する。この1年で、本当に見違えるほど有能になった。人間はみんな、自分だって「良い事」をしたい、「良い仕事」をしたいと思っているのだ。また、「人に役立ちたい」、「人を喜ばせたい」と思っているのだ。その潜在意識を引き出してあげたい。それが上司の使命だ。

けど、こんなにいい結果だったら、祝勝会でもやらなきゃならんなあ〜。
あいつらのおかげなんだし、きっと喜ぶんだろうなあ〜。


経費かかるなあ〜・・・・・。