ねしょんべん

小学校3年生の冬まで、私は、「ねしょんべん」をしていた。

学校では当然内緒だ。クラスではとてもじゃないが、ばれたら大変だ。私のステータスに深い傷がつく。
だが、スイミングスクールでは隠し通せない。
なぜなら、合宿や遠征などの「宿泊をともなう行事」が必ずあるからだ。
3年生の夏、初めての遠征があった。富士市に住み、育ち、富士市のスイミングスクールから出かける初めての遠征だ。場所は東京で、青山学院大学のプールだった。
8歳以下のクラスで出場する。遠征組では最年少だった。米川先生(米さん)が連れて行くと決めたのだ。
試合が行われる前日から、東京大学の赤門から近くにある、大栄館という旅館に入ったのだが、30人近くの子供たち全員が、ひとつの大部屋に泊まる。
しかし、私はねしょんべんの事など、すっかり忘れていた。
団体で出かける遠征は、やっぱりわくわく楽しいものだ。寝る前に話をしたり、枕を投げ合ったり、小学生のすることだから、そりゃ、大変だ。
私はすっかり忘れたまま、眠りについた。

朝起きると、旅館の布団に世界地図が描かれていた。
ちょうど、インドあたりが中心になってるやつだ。

お袋は色んなことを試した。「はり」治療が効果があると聞くと、毎日夕方になると、スイミングに行く前に「はり」治療に行かされた。子供なので、深く刺し込む事はしない。チクチクと刺激するだけの治療だったが、子供には苦痛この上ない。
お灸をすえられたこともあった。35年前の私だ。おしりも綺麗だったろうに。小さなやけどの跡をつけられたりした。
ほとんど毎日だった。夜中に気づく事もあった。けれど、あの頃は、気づいてもそのまま寝ていられた。
夜中に漏れそうになって、急いでトイレに駆け込んだ。パジャマのズボンを下ろし、間に合った安堵感と共に致すおしっこ。開放感と共におかしな感覚が股下周辺に訪れる。

夢だった。

夢の中で何度トイレに駆け込んだことか。その度に布団と濡らしていた。

どうしても治らなかった。叱られても、脅されても、自分に何度言い聞かせても治らなかった。
自分ではトイレに駆け込んでいるのだ。それなのに洩らしている。夢の存在が私のねしょんべん治療をややこしくしていた。

隣に寝ていた子供が騒ぎ出す。「なんかおしっこくさ〜い!」
どうしていいかわからず、黙って、とぼけて、小さくなる私。
そこへ米川先生がやってきた。

「んん〜?けんいち〜?ねしょんべんしたな〜!!」

あまりにも唐突に、そして大声で私の今世紀最大の痴態を晒す米川先生。
私の掛け布団をバッと剥ぎ取り、

「おお!りっぱな地図やな〜!」

というまま、「どけっ」と、地図の描かれた布団を折りたたみ、押入れへしまいこんでしまった。
「おい・おまえら全員内緒だぞ!」
と、旅館には内緒にするよう約束させると、寝間着代わりに来ていたチームおそろいのジャージを脱がせ、扇風機を最大に。
扇風機におもむろにかけられた私のジャージ。部屋中におしっこの香りが充満する。
笑う子供たち。つられて引きつり笑いする私。ものの30分で乾いてしまった。


不思議な事に、それからしばらくして私は「ねしょんべん」が治った。
チームのみんなも、からかったりせず、そのまま事は流れた。
あの時、米さんが、私の「ねしょんべん」を隠さずに、逆に笑いにしたおかげで、子供たちが勝手にあの事をからかったり出来ない、大人の介在する出来事になったのだと思う。

うまい人だ。けどあれは指導者の本能ではない。私の両親から聞かされていた、最年少で遠征に行く私の秘密を、朝、部屋に入った瞬間からいじめられるような展開にならないように、緻密に計算された行動と判断だったに違いない。
米さんは本能でそんな高度な事が出来るような天才じゃなかった。
考えて考えてイメージして、少しドキドキしながらトライする人だったと思うから。

我が家の三女「梢(こずえ)」。まだ小学校1年生だ。しかし、末っ子よりもほぼ毎日「ねしょんべん」をする。

妻は毎日シーツを洗って、布団を干す。曇りの日は布団乾燥機。
布団乾燥機って、すっごい電気代だって妻が嘆く。

経費かかるよなあ〜