考える必要

原発の水素爆発は大きな不安材料である事は間違いない。しかも3号機はプルサーマルである。プルトニウム型の危険性は1号機とは比較にならない。さらに2号機の冷却が出来なくなっているとの速報も入った。

原発は危険である事はみんなわかっていた。世界中が知っていた。知っていたが、背に腹は変えられないということなのかもしれない。
私達は不安を抱えながら、そして、福島の現地の方々は、「絶対安全」という言葉を信じて原発を受け入れて来た。
現場では、電力会社の社員や、協力会社の方々、さらには自衛隊員までもが復旧作業にあたっているのだ。
現実を見て、この事故を自分でどのように頭で整理していいのかわからなくなる。私達は明らかに原発の恩恵にあずかっているのだ。生活のあらゆる便利を原発に頼っている。電車、新幹線、ネオン、パソコン、テレビ、暖房、明かり・・・・。どっぷり浸かった原発の恩恵の中で、未曾有の災害と共に起きた事故を、電力会社のと政治の責任にしきれるだろうか・・・。
一方で、原発のある地元を、「絶対安全」という神話にも似た表現で説得してきた電力会社の責任は重い。
けれど、この地震の規模を想定していたかと言うと、していなかったのだろう。チリ地震の規模を踏まえ、地震大国日本として、安全基準がまだまだ甘かった事は露呈した。

しかし、何かとにかくしっくりこないんだ。だって、誰かのせいにすれば良いわけじゃないだろう?散々恩恵にあずかってきたんだ。十分な電力のお陰で、豊かさを謳歌してきたんだもん。

けれど、今この時も、現地で放射線汚染や被曝の可能性と、地震津波の災害を抱え、不安と戦っている皆様を思うと、当たり前のように電力生活を謳歌してきた自分を後悔する気持ちがある。

デリケートな問題だ。国民が全員で考える必要がある問題なんだ。軽々しい意見は危険だ。けれど考えなきゃ。議論しなきゃいけない。何かの価値観を変えなきゃいけないのかもしれない。地球人として。どうやって変わっていけるか。どうしたら変えられるか。何か本当の進化なのか。未来を作るのは現代を生きる我々だからだ。本当に悩む問題だ。