被曝と被爆

福島第一原発の危機は、戦争体験のない私の世代では、人生最大の国家危機といえる出来事になるだろうと思う。プルトニウム238.239.240が検出されたと言う事は、完全にメルトダウンしていると言う事だ。はっきり言わない東電。表に出てくるのは一定の出世をみた人物らだろうから、もっともらしいこと言いながら、自分のせいじゃないみたいな話し方をするのは、原発の事よりプロフェッショナルだ。その口頭技術も給料のうち。3号機以外のウラン型も、ウランとプルトニウム混合の3号機も、核融合の段階でプルトニウムは発生するから、1号機か2号機か3号機か4号機の、いずれかの原子炉圧力容器かなんかか、もしくはすべての圧力容器に、亀裂が入っていることは、もう完璧だ。おまけに圧力容器のそこにメルトダウンした核燃料が溶けて溜まっているんだろう。放水を断念して、あたり一面放射線が飛び交うから、もうそうそう近づけない。手が出せない原子炉の底に、ますます燃料棒のジルコニウムが溶け出して、ウランが溶けてさらに溜まっていく。そうすると一定の量になれば再臨界だ。せっかく緊急停止したが、緊急自動冷却装置も自動じゃなかったし、再臨界する可能性がますます高くなる。
世論では、危険な話をして不安をあおらないようにって言うけど、実は現在の状況って物凄い危険。圧力抑制室も損傷している可能性が高いんだから、完全に核燃料の暴走の条件がそろっているわけなんだから。
それでも再臨界でノーコントロールになって、大爆発したら、かなり全世界じゅうに放射能物質が拡散する。すぐ死んじゃうとか、すぐ癌になるとかって事ではないが、雨の日なんかは外に出ない方がいい生活がしばらく続くと思う。そしてそれでも防止できない種類の放射線物質がたくさんあるから。長い時間をかけて、じっくり被曝するんだろうと思う。
再臨界して暴走して爆発したらの話ですよ!!
でも、そうはならないって思っちゃいけない。本当に再臨界して暴走するかもしれない条件が整っているから。

地球の土壌は、世界各国が行った核実験のおかげで、微量の放射線物質が拡散している。
日本には広島・長崎にアメリカが原子爆弾を落としたから、大東亜戦争後には、日本を中心に世界中に放射線物質が散らばった。
私はその意味で「反米」の立場をとってきた。アメリカ人の友人もいるし、アメリカ人になった日本人の親友もいる。しかし、日本人は忘れてはいけない。世界で唯一、核を使用したのはアメリカであると言う事と、世界で唯一核を使用されたのは日本だという歴史を。

時代は流れ、現在、アメリカは過敏に80キロ圏外へ非難すべきと騒ぎ、機能を関東から関西へ異動している。原爆の威力を知っているからだ。広島へ落とした後で、放射能の汚染濃度をずっと調査していたから。しかし、ある意味で正当な判断だろう。政府は福島第一原発から30キロ圏内の住民へ避難勧告を出しているが、東電がメルトダウンしている事を暗に認めている以上、最低でも50キロ圏内の住民は避難したほうがいいと思える。

中国もインドもフランスも、その他の国も、小さな島や、海底という地球の限りある資源と自然のあふれる中で、核実験を繰り返してきた。
そして、それらの国の人達は、日本で起きたこの未曾有の災害と共に福島第一原発の現状を踏まえて、すぐさま徹底的に国外脱出をしている。それもまあ、正当な判断だろう。

けど、核実験して、核爆弾落として、チェルノブイリやって、スリーマイルやって、世界中原発だらけで、もうどこ行っても同じやん。
もう、みんな上手に被曝してますやん。
広島と長崎の一般市民は、アメリカのトルーマン大統領のおかげで、突然「被爆」し、「虐殺」されたけど、未だにアメリカ大統領は、8月6日に広島に来る事もしないし、それでも福島第一原発にはものっすごいドキドキしてるんだから、不肖だよ。

核をチラつかせながら、自国の国益に走り続けてきた世界人類なのに、どうして災害の時にはこんなにみんなが助けようとしてくれるんだろう。本当は人類には、そういうDNAがあるんじゃないだろうか。本当は助け合うように出来ているんじゃないだろうか。

今でもすでに、ソウルなどで微量の放射能が確認されたらしいのだから、災害とはいえ、日本の原発で隣国に被害が及んでいることは否めない。管さんはもしかしたら、国の代表として世界に向けて、原発の被害拡散についてお詫びしちゃったりするんじゃないだろうか・・・。
アメリカにも原爆とスリーマイルをお詫びされてないし、核実験国にも放射能汚染をお詫びされてないし、ソビエトにもチェルノブイリをお詫びしてもらってないけど。

そりゃあ・・・・、同一線上に乗せて議論してはいけないことなのかもしれないけど・・・。

福島第一原発の作業員の皆様は、1日2食、朝はビスケットとジュース、夜はパンと缶詰だけという状況で、廊下や通路などで仮眠を取りながら作業にあたっていると言う。心から敬服する。現場で作業にあたっているすべての人の為にも、心を込めて祈る。