てりやきバーガー

私の通っていた大学の地下1階は学食だった。その学食にモスバーガーがあった。メニューは普通のモスバーガーのショップより若干少なかった気がするが、そこで私は生まれて初めて「てりやきバーガー」なる物を食した。それまで私が食したハンバーガーは、マック系と、ロッテリア系と、私の田舎にあった、無名のハンバーガーショップだけだったから、その「てりやきバーガー」を食べた時の衝撃は物凄かった。19歳になりたて位の、まだまだ若い胃袋。昼休みに学食で食べるてりやきバーガーの個数は、楽に2〜3個くらいは平気だった。値段も学食料金にようになっていて、通常のショップより少し安かったと思う。完全にモスのてりやきにはまっていた私は、通学すれば必ずと言っていいほど毎回てりやきを食べた。

時は過ぎてそれから20年後。
前の勤務先だった事業所の部下に、「塩崎啓雄」という男がいた。彼は大学を卒業して新卒で我社に入ってきたプロパーで、入社して3日で「こんな会社辞めたいですわ」と言った程のヘタレだった。私は自分そっくりなそのヘタレぶりに、大いに共感を持ち、そうはいってもすぐに辞めてる場合じゃないだろうと、徹底的に育て上げようと決心した。結果、若くして現在の事業所の責任者となっている。それまでの経緯について、語るべきことは山ほどあるが、(いいことばかりではない)それは今回は割愛する。
ある日、私は彼に、大学時代の武勇伝を話した。その内容は、大学の学食で出会った、てりやきバーガーがあまりにも旨くて、一度、何個食べられるか挑戦し、24個食べきったという、凄まじいエピソードだった。
当時私は、引き締まった体型だったが、焼肉を食べに行けば、最初にとりあえず注文するのは、「カルビ20人前」。めちゃめちゃ食べる大食漢だった。しかし、てりやきバーガーがいくら好きだったとはいえ、24個はさすがにきつかった。なんとか24個を食べきり、25個めを食べ始め、最後の一口を口に入れた瞬間、突然の気持ちが悪くなり、トイレに駆け込んだ。
かなりの量を戻してしまったが、24個までは完全に食べきった。
しかし塩崎はそれを認めなかった。25個めですべて戻したのだから、24個食べた事も無効だというのだ。私も譲らない。24個までは完全に完食したのだから、記録は24個だと言うのが私の主張であり、いうたら武勇伝なのだ。
24個完食をオフィシャルとすべきか、25個のトライアルに失敗したとすべきか、その議論は尽きない。その話をしてから約2年間、塩崎と私の主張は平行線を辿った。社内の部下や女性陣達は、全員私の「24個完食」を押してくれた。
そこで私は、塩崎に提言した。
「君は少なくとも、てりやきバーガーを24個なり25個なり、実際に食べてから私の武勇伝について発言すべきじゃないか?」
というものだった。実際に24個を食べきった私に対して、むしろ1個くらいしか食べた事もない塩崎がとやかく言うのはフェアじゃない。たとえ10個でもいい、私の24個というとてつもない武勇伝に挑んでみて、初めて見える世界ってものがあるんじゃないかと。胸を貸してやると。
ある日、塩崎がモスバーガーに行き、「てりやきバーガー」を25個買ってきた。土曜日の夕方の事務所。応接テーブルに綺麗に並ぶ「てりやきバーガー」。まだ温かく、白い包装紙に包まれたその姿に、私も塩崎も無言で頷く。そして始まった。塩崎のチャレンジだ。25個に向かって果敢に挑むその姿勢に、固唾を呑んで、観客が見守る。
スタートして5分くらい経った時だった。塩崎はすでに4個目のてりやきバーガーをやっつけている最中だ。口の中にいっぱいに広がるてりやきソースに、陶酔した表情の塩崎が一言。

「もうらめ」

かくして彼の挑戦は終了した。8,000円くらいの準備金を自分で工面し、自分でモスバーガーに行って仕入れてきた大いなる投資と闘志が、4個で終了した。彼はいかに私の24個の記録が凄まじいか、いかに偉大であるか、痛いほど理解した。そしてたった4個で終わった恥ずかしい挑戦は、「もうらめ」のモゴモゴ感いっぱいの一言で終了してしまったのだ。
私の場合は24個食べ、25個目でさらに「戻す」という凄まじさがある。4個で「もうらめ」とは比較にならない事は、皆さんもよくご理解いただけると思う。

かくして、事業所のみんなのその日の夕食は、てりやきバーガーとなった。子供のいる社員にとっては最高の結果だったかもしれない。
塩崎の武勇伝は、「みんなの夕食をご馳走した」という武勇伝となった。

24個の話も25個の話も20年以上前の話だ。かなりの時間が経過してしまった。あれは現実だったのだろうか・・・。遠い昔に見た夢のように思える・・・・。