教(おしえ)

米さんに教わった事で、現在の私の倫理観のベースになった言葉がある。
「人に矢印を向けるな」という言葉。
時に人間は何か問題が起きると、つい、人のせいにして、自分の問題に気付かないような状態に、陥ってしまう事がある。確かに、明らかに相手の問題であることもあるだろう。しかし、その相手にも、その問題を生んでしまう理由があるのだ。なぜか?と言う事を良く考えると、原因のそのまた先の原因の、そのまた先の原因の先に、「真因」というものがある。そうしてトラブルや問題の発生する過程に、どこかに自分自身の問題も隠れているものなのだ。
特に我社に入社してからの13年間、いつもその言葉を胸に抱き、後輩や先輩や上司と接してきた。
「人に矢印を向けるな。自分に向ける勇気を持て」
そう言って、部下にも接してきた。評価は人がするものだから、私がそれを実践できているかどうかは確信はないけど、でもきっと少しは伝わってきたと思える。周りがみんな、どんどん綺麗になってくのがわかるから。

「去る者は追わず。来る者は拒まず」という言葉も、米さんの代表的な教えだ。私は高校1年の時、生まれて初めて本当の恋をした。そしてふられた。ふられたショックで練習にも力が入らず、米さんに叱られていると、ふられたあの子を思い出し、悲しくてボロボロ泣けてきた。すると米さんは察知し、「なんや。ふられたんか?」と言う。小さくうなずく私。
「どんな事があっても、ずっと一緒にいようねって約束したのに・・・」と私が泣きながらつぶやくと、米さんはこう言った。
「あほかおまえぇ〜。男がふられた時はな、ただ一言、そうか。って言って、黙ってくるっときびすをかえすんや。そして振り返らずに背中を見せてまっすぐ去るものや。」と言った。まだろくに恋など知らない私だったが、ふられてもかっこよくいなきゃいけないっていう気持ちになれた。米さんのその言葉を聞くまでは、相手に対して、約束したのに破った!という責めたい気持ちがあったのだろう。私はその言葉を聞いて、恋愛は私がしているんだから、相手は、私による問題で別れを選択するのだ。問題は私にあったのだと言う事を気付くことが出来た気がする。その子と2年後復縁したが、またさらに数年後、今度はふってやった。そしたら、今度は米さんが私にこう言った。
「あほかおまえ〜!男は女をふったりしたらいかん。いつもふられなきゃいかんねや!」
そして、「上手にふられるように持っていくんや。男はふられても勲章や。けど女はふられた数だけ価値が下がるんや。」と、また叱られた。

私は教え子達の誰よりも、一番米さんを慕ってきた。一番影響を受けた。そしてどんどん大人になっていく過程の中で、「師」という米さんや、「個人」としての米さんや、「父親」としての米さんを知った。米さんは自分の子供達を心から愛していた。そして、私達教え子の事も、子供達に負けないくらいに愛情をくれた。実際には教え子の方が、米さんを困らせたことが多かったから、子供達には申し訳ないくらいだ。

米さんは実は凄く「いくじなし」な所があった。教え子達のレースを、まともに見れないのだ。日本選手権や、国際大会の選考会など、重要なレースになればなるほど、教え子のレースを見るのが怖かった。米さんの風貌を見る限り、まったく信じられないが、事実だ。だから時々、教え子のレースを見ずに、外でタバコをふかし、終わった頃に会場へ戻る。結果だけ見て、「ほう」と一言だけ。でも、本当はその時、選手がなぜそのタイムだったか、恐ろしいまでに頭脳が動いていた。そしてアシスタントコーチに、このタイムだってことは、どのタイミングでどうなって、ストロークがこうで、後半何秒かかってラストでこうなったからこのタイムなんやろ?なんて聞いて、それが全部その通りだった。あれは一種の天才じゃないかと思うくらいだ。
私の高校時代の選考会レースの時などは、1500mのラスト50mで、先頭を泳ぐ大学生に一気に追いついたレースを見て、心臓がおかしくなったほど。日本高校新記録を出したのに、「ラストであれほど出せるなら、なんで最初から出さんのや!あほ!心臓に悪い!」と怒られた。でも私は、米さんに一泡吹かせた感じがして嬉しかった。

米さんは晩年になってから私に教えてくれたことがある。実は私だけに言っていた教えがあると。
「努力している姿を見せるな。努力はむしろ隠れて行え。人知れず、努力せよ。」
という言葉。確かに子供の頃からよく言われた言葉だった。そのせいか、私はよく周りから、「なぜお前が速くなっていくのかわからん」と言われた。練習も決して一番真面目な選手ではなかったし、むしろ、いつもふざけていた子供だったから。けれど、小学校高学年から中学2年で東京に行くまでは、スイミングの鍵を預かり、自主的に朝練習を2時間やっていたし、毎日持久力の為に、夕食後にランニングしていた。練習のメニューも、全部を均等にがんばるのではなく、メニューの意味を自分なりに考え、強くなる為のイメージをしながら、集中力を駆使して練習していた。
米さんは、その時、何故私にだけ努力の姿を見せるなと言ったか、教えてくれた。私がすでに30歳の時だ。
「おまえは、そこに立っているだけで、周りが勝手に、負けたあ〜っと感じさせる男や。だから努力をひけらかすと嫌味になるんや。」
そう言われた。教え子かわいさに、贔屓(ひいき)めな言葉なのだろう。しかし、なんとなくわかる気がした。この自分の所作の置き方は、その後社会に出てから、本当に役立った。
「人知れずして憤らず、また君子ならずや」
これも、米さんに教わった。孔子の言葉だ。
私だって努力している事はある。結構、隠れて必死だ。何食わぬ顔をするのも結構大変だったりするんだ。努力している自分がいると、周りがのん気に思えて、批判的な気持ちが湧くものだ。しかし、自分の努力など、人には理解してもらえないものだという前提に立ち、努力を見てもらいたいことが目的ではなく、目的を実現することが私の目的なのだから、まさに人知れずして憤らず・・・。ってことだと思う。

米さんが逝ってもう10年近く経つ。それなのに、思い出さない日はない。毎日、毎日、必ず思い浮かぶ。何をしていても、どんな時でも、米さんだったら何て言うんだろう・・・って。その存在が、私を支えている。今私がこうして生きているのは、米さんに活かされているからだと思う。