ジェリー

小学校の時、「ジェリー」という名前のウサギを飼っていた。ウサギのくせにすごく人なつっこくて、「ジェリーッ!」て呼ぶと、ピョコタンピョコタンと、私に抱かれに来た。弟の信彦もとてもかわいがっていて、学校から帰ると、公園やレンゲの生えた広場にジェリーを連れて行き、思う存分走り回らせてあげ、お腹いっぱいにレンゲを食べさせた。ウサギのくせにすごく利口で、家に入れると、ぜったいにおしっこやうんこをしなかった。部屋で遊んでいると、ジェリーが何度も玄関の方に行くので、外に出してみると、自分の小屋に行き、トイレで物凄い勢いでおしっこをした。きっと凄く我慢していたのだと思う。いまだかつて、そんな利口なウサギ、見たことない。
真っ白で赤い目をしたウサギだったが、顔立ちにどこか愛嬌があり、機嫌がいいときの表情や、悲しい時の表情があった。お腹がすいている時は、私に近づき、後ろ足で立って、前足で私の体をこすった。まるで犬が前足で何かを飼い主に訴えるかのようなしぐさをしたウサギだった。私と弟の信彦は、そんなジェリーをいつもかわいがり、大切にし、いたるところに連れて行った。

何年か経ってからだろうか。私が6年生、信彦が3年生の時だった。ある日、ジェリーの耳に、物凄い大量の耳クソがこびりついている事に気がついた。最初のうちは丁寧にとっていたが、だんだん痛がるようになった。さらに、目に大きな「できもの」が出来た。獣医にも連れて行ったが、目薬を渡されるだけで、できものそのものを除去はしてくれない。さらに、首の辺りにも巨大な「できもの」ができた。獣医に連れて行くと、切開して膿がドーッと流れ出た。切った場所の周りの毛を剃り、切り口を縫った。
いつも獣医に行く時は、私が一人で行くか、弟の信彦と二人で行くか、どちらかだった。6年生と3年生の子供にとって、大切なジェリーの体に、獣医のメスが入るシーンはつらいものだった。二人で並んでジェリーを見ながら、泣きながら見ていた。
しかし、何度切開しても、膿は溜まり続けた。3回くらい切開して膿を出したが、いっこうに良くならなかった。できものが出来た目は、もう塞がっている状態だった。
母には安楽死という考えがあることを教えてくれた。ジェリーは多分「癌」なんだと言った。獣医は、何度でも通ってくれれば儲かるから、希望を持たせる事ばかり言うが、ジェリーの場合はもう、治せないんだと言われた。信彦と二人で母の話を聞きながら、泣きながら覚悟した。
渡された1万円札を持って、ジェリーと別れの会話をしながら獣医まで信彦と歩いた。そこで「安楽死させてやってください」と告げた。しかし、獣医は、確かに治らないが、少しでも長生きさせたくないのか??と逆に切り返され、小学生2人は、大人に言いくるめられて、また切開と目薬と、飲み薬をもらい、お金を払ってジェリーをつれて帰ってきた。
獣医に言いくるめられて帰ってきた私達に母は、ジェリーは痛い思いをしているのだと言った。癌で苦しんでいるのに、何回も切開して、切り口はズタズタじゃないのと。目だってもう開かなくなり、その頃には大好きなイチゴも食べなくなっていたから。イチゴをつぶして、やわらかくして、やっとほんの少しだけ食べられる程度だった。そんな状態なのだから、楽にしてあげなさいと、また安楽死をしてもらってくるようにお金を渡された。
そして信彦と私はまた、ジェリーを大事に抱え、獣医に行く。しかし、今度はすごい注射があって、痛みを感じないのがあるからといって、またしてもいいくるめられて、高額な支払いをしてジェリーを連れて帰ってきた。
母には、「だめじゃないの!あなたは獣医に騙されているのよ」と叱られた。でも、その時はまだ、もしかしたらあの獣医の言うように、助かるのかもしれないって、思っていた。
通っていたスイミングの練習は、よる8時に終わる。迎えに来てくれている両親と弟。練習が終わり、家族4人で家に帰った。車の中で、母に、「あんた、ジェリーはもう限界だで!帰ったら死んじゃってるかもしんないで!」と言われ、家に着くなり、ジェリーの小屋を見た。
水を入れた皿の、3センチくらい手前にジェリーの口があり、まるで水を飲もうと必死に体を伸ばしたかのように、手も脚も、長く伸びきって、体を横たわらせて硬くなっていた。
信彦と私は、泣きじゃくった。あんまり泣くので、両親ももらい泣きし、近所のおばさんまで私達兄弟を慰めに来てくれた。
父が用意したダンボールに、私が使っていた毛布をひき、上には信彦が使っていた毛布をかけた。宝物だった「メンコ」や、ミクロイドマンの人形をダンボールに入れ、大好きだったイチゴや、レンゲの花をジェリーの口の前に沿えた。母に、ジェリーにお礼を言いなさいと言われ、信彦と二人で、ジェリーの手術あとをそっとさすりながら、「ありがとう〜」って何度も声をかけた。
父はその日のうちに、山へ行き、大きな穴をスコップで掘って、ジェリーの入ったダンボールを埋めてくれた。

何日か経った日曜日のある日、近くにあったスーパーに、弟とカップラーメンを買いに言った時の事だった。売り場に、あの獣医がいた。私はドキドキしながら、「ジェリーが死んだ!」「あの次の日死んだ!」と大きな声で話しかけた。しかし獣医は無視していっこうに相手にしてくれない。いまでもはっきりと覚えているのは、「このウサギ殺しの詐欺師!!」と言いたかったのに、つい、「この人殺しのどろぼう!」と言ってしまって、スーパーの定員がやって来てしまったことだ。
獣医はなんやら定員と話していたが、私はその場でまたジェリーを思い出して、カップラーメン売り場で立って泣いていた。信彦は私の後ろに立ち、私の影に隠れうつむいていた。
スーパーの女性定員がやってきて、こちらへいらっしゃいと言い、ペコちゃんキャンディを私達にひとつづつくれた。私達は結局何も買わず、二人でペコちゃんキャンディを口に入れ、スーパーを後にした。
後でわかった話しだが、その女性定員は、近所の同級生のお母さんだった。私の事を知っていたのだ。
この出来事は、しばらく近所の話題だった。

我が家の長女がウサギを飼いたいといい出したのは、6年生の時だった。私は長女本人には言えなかったが、妻にウサギは飼いたくないと言った。子供の頃、ペットに死なれる辛い思いをしたから、もう嫌なんだと説明したが、あまりにほしがる長女に、私のした経験は、彼女にとっても必要な事かもしれないと、考えを改めた。

結局引越しで飼えなくなり、ペットショップに引き取ってもらったけど、オスメス飼って、一時は子供が産まれ、7匹くらいだったんだもん。ウサギ小屋から餌から、下に引く藁から、本当にお金がかかりました。ペット飼うのは経費かかるんですねえ〜〜