長女の青春

子供の成長は早い。
最近長女は、高校の部活動で帰りが遅い。私が早く仕事を切り上げ、帰った日などは、私のほうが早く家に着いている事もあるほどだ。
小さい頃からあまりスポーツに関わる機会の少なかった長女。だから私は高校に入ったら、運動部に入ることを勧めた。
運動部では、先輩と後輩の関係がどうあるべきか悩むことで、社会勉強になる。そして、社会における礼儀作法の基本を学ぶ事も出来る。何より、同じ目標に向かってチーム一丸となる事も、高校時代だからこそ味わえる純粋な利害関係のない醍醐味でもある。
しかし、夜8時や9時になって、疲れきって帰ってくる長女を見ていると、率直に言ってかわいそうになる。疲れて帰ってくるから機嫌も悪い。さすがに妻は、同じ女性として、または、母として、本能的にもわかっているのだろう。少々だらしないことしても、怒らず接している。
私は中学2年で親元を離れて、水泳漬けの毎日だったし、先輩の洗濯や掃除、食器洗い、先輩の残した食事を平らげたり、不安やストレスと戦って、青春時代を完全に寮生活と競泳に費やした。それでも日本チャンピオンになれたり、数々の新記録を打ち立てたり出来たのだから、幸せな方だろう。
長女はバトミントン部。水泳とは一切関係ないスポーツだが、ダブルス以外は個人競技であることに変りはない。自分の努力と、様々な環境が作用して、どこまで高い目標に到達できるか、それはまたスポーツという競技の持つ、現実の厳しさでもある。
スポーツでは努力する過程に意味があるという表現をする人も多い。
しかし私は少し違った感覚を持っている。
スポーツでも、または仕事でもそうかもしれないが、必ず競技には勝者がいて、そして敗者がいる。
勝者はそのすべてを奪い去る。敗者はすべてを失い、勝者の横で小さく座り込む。神は冷たい心で、勝負のサイを投げ、グッサリと斧を振り下ろす。冷たい世界だ。
その競技に生きた時代を、後にどう総括できるかは、勝者であった者がさらにまた勝利に向かうか、敗者であった者がその後の人生で勝利を掴み得るか、それはまた次の人生の物語である。
マチュアスポーツは、私にとって決して美しい世界という実感はなかった。やっと最近になって、多くの当時の仲間との再会を以って、自分の中で総括し、今を生きる選手達を見て、美しいと思えるようになった。
これから長女がどのように部活動の時間を過ごし、何を感じ、どんな思いを馳せるのか。きっと行き詰った時、私が力になれる気がする。
スポーツの持つ美しさと残酷さ、仲間の価値と自己確立。それらは生きる上で避けて通れない重要な問題であり、人生の醍醐味でもある。

長女に彼氏がいる。一応、お付き合いをしていることになっていると本人から聞いた。私は始めて青春の恋を知ったのは、高校一年生の夏だった。長女はこれからあんな思いをするのだろうか。いや、するんだろうな。考えただけでドキドキする。親として不安になる。
妻と出会ったのは高校2年だ。私と妻の物語は高校2年から始まった。
長女もあんな気持ちになるのだろうか・・・。
うちの子がそんな歳になるなんて。信じられないよ。
青春の時間。高校2年の時、練習が休みの日、妻と制服のまま地下鉄に乗り、妻の背中をそっと抱き、寄り添って立ち、妻の髪に頬を添え、言葉もないまま、ただ愛しい気持ちだけを胸に過ぎたあの時間。
これから長女は、厳しい部活動と、せつない恋をするのだろう。
怖い。娘の青春を静かに見守らなければ。

バトミントンはヨネックスというスポーツブランドが定番らしい。
練習用にTシャツと短パンが欲しいって言い出しました。この前、1万5千円もするラケット買ったばかりなのに、今度はウエアかあ。そりゃあ欲しくなるわな・・・。
今度、市の体育館で親子で練習することになりました!日曜日にね。
しかし、やっぱり経費かかるなあ〜〜