命日

今日、6月16日は米川先生の命日。
浜松に住んでいた頃は、6/16じゃなくても、その前後の日に、必ず桐生にお墓参りに行っていた。けれど今はちょっと遠すぎて行けない。きっと10時間くらいかかっちゃう。熊本のお墓には未だに行けていない。だから本当は今年中に熊本に行きたい。
熊本には米川先生の弟の正則さんが居る。そもそも米さんの生まれは熊本県なのだ。
3年前、弟の正則さんの御子息の結婚式に、米川先生の名代のような立場で、妻とボブ(長畑弘伸さん)と一緒に式へ出席をさせていただいた。ボブと一緒にスピーチもさせていただいたり、毎夜、正則さんに熊本の馬刺しを食べに連れて行っていただいたり、一緒に飲み歩いた。楽しい数日だった。
正則さんはそんなに米川先生と顔が似ているわけじゃないけれど、どこか同じ匂いがする。もう米川先生が逝って11年経つけど、正則さんと居ると、まるで米川先生と過ごしているみたいな錯覚に陥る。
正則さんにとって、私はどんなポジションにいる男なんだろう。私にとっては、まるで家族のような気がする。米川先生は私にとって、第2の父親だ。先生がそう言っていたから。現役時代に、肩を壊して、長野の治療院に通い、近くの温泉に泊まって、毎日朝から晩まで一緒に過ごした時、夜食事をしながら、「お前は俺の息子みたいなもんや」って言った。その後、愛知県豊橋市でスイミングクラブを経営しながら一緒に苦労していた時も、先生は私に、「おまえと俺は親子みたいなもんやから、離れられんのや」って言った。
いつも一緒に居た正一(粂川正一さん)は、そんな私と先生の関係をうらやましがっていた。だから、私は正一に、「おまえだって俺の弟みたいなもんじゃねえか」って言った。だから、米川先生と私と正一は親子だ。そうすると、弟の正則さんは、親戚のおじさんって事になる。叔父だ。でも、先生があっちに逝ったから、半分親父だと思いたいくらい。正則さんも米川先生と同じ匂いがして、一緒に居ると、どうしても家族みたいな感じがする。
けれど、米川先生には私のほかにも多くの教え子が居る。先生は、いくら私と一緒に居ても、私を息子と同じだと言っても、私と、その他の教え子達と、一切贔屓がなかった。古くからの教え子達も、まだ歴史の浅い教え子達も、まったく同じ価値観で、愛情を持っていた。
今は水中パフォーマンスで日本どころか世界的にも活躍している、先生の教え子に「不破央さん」がいるが、先生はいつもひさしの事をとても気にかけていた。怪我が元で、当時日本で一番の実力者でありながら、オリンピックに行かせてあげられなかったことを悔やんでいた。私にはそれを話してくれていた。まだ若い頃は、私がオリンピックに選考されなかったことを悔やまずに、ひさしの事を悔やんでいる先生を見て、ひさしにすこし嫉妬していたりした。でも、今では本当に先生の気持ちがわかる。先生はひさしを本当に可愛がっていた。そしていつも信用していた。そしてひさしは米川先生の期待通り、素晴らしいアーティストになった。しかも、同じ教え子のさゆりちゃんという美人の奥様をもらった。
先生を知っている友人や先輩は、米川先生は私の側にいるよって言ってくれるけど、私はそうじゃないと思う。先生はひさしの側で、彼を見守っている。私やボブや、正一のそばにはいないってわかる。私は先生の心を受け継ぐだけ。もう側にはいない。そしてどちらかといえば、今私やボブや正一には、正則さんがいるんじゃないかって気がする。何をどうするわけじゃないけど、先生が『あいつらはええねや。正則がいるから』って、そう思っていると思う。
ひそかに米川先生を日常で思い出している教え子達は、実はいっぱいいると思う。名前を全員は出さないが、そのエネルギーを感じる。今日が米川先生の命日だって事は、みんながみんな、覚えている訳じゃないだろうけど、はっきり感じるのは、教え子達の中では、米川先生はまだ生きているって事だ。そう。みんなの心の中で、先生が今も生きている。そして負けそうな時、くじけそうな時に、『なんばしょっとか!おまえ〜〜』って声が、みんな聞こえているはずだ。
ね、そうでしょ!みんな!!

正則さんの心にも、そして奥様と子供たちの心にも・・・・。