人格

昨日は午前中から、思い込みの激しい友人の迫害に合い、ホトホト疲れきってしまっていた。おまけにその友人の発言や動きがもとで、様々な誤解までその他の友人に与えてしまっていることを知り、ガックリ・・・。いくら友人とはいえ、生活環境も抱えている事情も、様々なはず。本当に嫌な気持ちになった。久しぶりに感じる気持ちだった。
そんな時、また違う友人と連絡する用事があり、電話で話したのだが、少し事情を話すと、スーッとそれまでの嫌な気持ちが消え、明るい気持ちになれた。
友人にも色々いる。しかし、相手の状況や空気を、お互いに微妙に察知して、その時本当に必要なエネルギーを発する事が出来る友人は、本当にありがたい。
助けをくれた友人は「さかっぺ」だ。やっぱり小学生からの関係だから、お互いを知っている。いいところも悪いところも。だから互いに気持ちを汲める。さかっぺの美しいところは、自分の価値観を押し付けないところだ。あんなに金持ちなのに、一切鼻にかけたところがない。過去病気して、絶体絶命だった時にも、自分が追い込まれて焦っている時も、自分の価値観を攻撃という形に変えたりしなかった。
誰が正しいのかではなく、何が正しいのか・・・。だ。
正当性の主張をする人間の自己愛から来る強欲の積み上げが、今日の日本を作った。その住みにくい国を。
合理主義はアングロサクソンリバタリアンを生んだ。アメリカを侵略し、インディオを虐殺して占領と言う形で作った国がアメリカだ。そして、儲けがすべてという価値観。彼らの多くは、人の心を大切にする理想主義を、「偽善」と呼び、あくまでも合理主義を愛する。

人に、より良い影響を与える人間になりたいと思うのなら、説得力という人格を持っていなければならない。
そしてその人格は、何かを勉強したから成せるものでもないのだ。
本を読んだから・・・・、
研修をしたから・・・・、
それで人格が形成されるわけではない。
そもそもそれがない者には、人を導く権利も魅力もないのだ。

私は恩師の姿を見るたび、自分にその魅力や力が足りないと言う事に気付き、恩師の米さんを見て学び続けてきた。今でも思い出をおさらいしながら学んでいる。そして、今でもその学びを、活かしたと思っている。しかし、まだとてもじゃないが、米さんの足元にも及ばない。
あの素朴で美しい心は、到底追いつけない何かがあるのかもしれない。