車 寅次郎

男はつらいよ」の渥美清さんが亡くなって、はや5年が経つ。
最近改めて手に入れた、「男はつらいよ」シリーズをこのところ毎日1作づつ鑑賞してから床についているのだが、昨日、思うところがあって、最後の48作目を先に観た。
男はつらいよ」シリーズの中で、ただ一人、4作に出演しているマドンナ役に、「リリー」こと、浅岡ルリ子さんがいる。11作め、15作め、25作目、48作めの4作なのだが、3作を観た時、そういえば・・・!と、最後の48作目がリリーがマドンナだった事を思い出したからだ。
渥美清さんの最後の出演作48作。
このところ、ずっと渥美さんが若い頃の「男はつらいよ」を観ていたから、この48作目の渥美さんの衰弱振りがよくわかった。声もかすれ気味で、やっぱり辛そうに見える。渥美さんが亡くなってからわかったことらしいが、この48作目を撮影している当時から、渥美さんはすでに重い病に冒されていたそうなのだ。
実は「男はつらいよ」は、46作目あたりから、寅さんの妹の子供である、「満男」(みつお)(吉岡秀隆さん)の話題が、作品の中心となる傾向が強くなってきていた。渥美さんの衰えと、年齢などを考慮したのかもしれない。
いずれにせよ、48作目は観ていて寂しくなった。作品としてはとても素晴らしいのだが、48作のほとんどを観ている私としては、もう二度と渥美さんの新作を観る事ができないと言う事実と、最後の出演作の、さいごの渥美さんの演技を観て、どうしても物悲しさを感じてしまう。

渥美清さんは、徹底的に公私を分け、私生活を表に出さない人だった。あれだけの喜劇役者でありながら、お笑い芸能人のような、公私をオープンにした現代風な芸能人ではなかった。
山田洋次監督や、映画スタッフさえ、自宅すら知らなかったのだと言う。連絡先も芸能関係者にはオープンにせず、事務所を通してしか連絡の取りようがなかったという。
つまり渥美清という人は、「車寅次郎」・・・、寅さんというイメージを、自身の実生活を見せないことで頑なに守ろうとしたのだ。映画「男はつらいよ」の観客やファンは、渥美清と車寅次郎を、完全に一体化させておかなければ、いつか飽きられてしまう・・・・、映画の中の寅さんのイメージが変ってしまうという現実を、きっと他の誰よりも知っていたのではないだろうか。きっとずっと前から気付いていたのだと思う。だから、バラエティなどの出演がまったくない。男はつらいよのドキュメンタリーも、48作目の最後の作品を撮影している時が、最初で最後だった。きっと自分の余命を知り、最後に一度だけならと、撮影のドキュメンタリーを許したのだろう。
喜劇作品以外で、渥美清さんが出演したテレビ番組は、あの美空ひばりさんとの対談程度。だから私は、渥美清さんの露出を、実質、映画でしか観れない。
それが一層、私の中で、男はつらいよのイメージを確立化させている。つまり、渥美清さんの狙いはこれだったのだ。ファンに、「車寅次郎」の存在を、「男はつらいよ」でしか知る事が出来ず、尚且つ、それだけに確立されている、それが渥美さんの生涯の狙いだったのだ。
偉大な俳優であると同時に、偉大な「作り手」だった。
シリーズの中で、私がもっとも好きなのは、松坂慶子さんがマドンナ役となっている、「男はつらいよ 浪花の恋の寅次郎」と、「男はつらいよ 寅次郎の縁談」の2作。理由は松坂慶子さんが大好きだからだ。松坂慶子さんは、ふとした瞬間の顔が、どことなく私の妻に似ている時がある。あ、と言うより、妻が、松坂慶子さんに似ている瞬間があるといったほうが正解だろうけど。だから、特別な2作だ。1作目の撮影地は、大阪と奈良であり、奈良の生駒にある、宝山寺でのシーンを観て、奈良に住んだとき一番最初に観光した。

男はつらいよでは、長渕剛さんと志保美悦子さんや、沢田研二さんと田中裕子さんなど、後に結婚した競演カップルもいる。また、その時代を象徴していた名女優が多く出演していて、その演技力は素晴らしい。
また、29作目の「男はつらいよ あじさいの恋」に出演している「いしだあゆみ」さんは、本当に美しい女優だ。
今は亡き、「大原麗子」さんも2作に出演されている。

私はあの寅さんの、ダメ男ぶりに心から憧れる。キャラクターの上で、確かに寅さんはダメ男として存在しているものの、寅さんの人間性には、本当の男のやさしさがある。そして、寅さんを見ていると、私は恩師の「米さん」を思い出すのだ。
一見、似ても似つかない2人だが、私の中でその偉大さは同格。米さんは「男はつらいよ」という映画の、特別ファンではなかったのだが、米さんの言葉には、幾度となく寅さんのセリフと同じ意味を持つ言葉が多数存在する。

「女にふられたときには、男は黙って、背中をみせて去るもんだ」という米さんの教えは、寅さんのセリフにも似たような表現がある。寅さんというより、脚本家の考えに似ているのかもしれないが、車寅次郎という存在は、渥美清さんが創り上げた、想いのこもったキャラクターとの事なので、きっと脚本家より、渥美さんの理念が反映されているのだろう。

日常で、仕事の事や、子供の事、教育の事など、様々な事でいつのまにか精神的に追い込まれている自分でも、「男はつらいよ」を鑑賞すると、色んなことを「許せる自分」になっている事に気がつく。
そんな時、映画の存在が、たとえ一時でも、自分の人生を救ってくれている事に気が付くのだ。