信彦と梢

私は男2人兄弟の兄だ。弟がいる。

名前は信彦。

弟は小さい頃からいつも私にくっついて、私が遊びに行くところに、必ず一緒にくっついて来た。今でも覚えている弟の声。
「おにいちゃ〜ん!まって〜!」

3歳離れているから、私が小学校低学年の時は幼稚園だった。
たった3つの違いでも、小学生の私の足には付いてこれない。公園に行く時でも、夏の川に魚取りに行く時でも、彼は一生懸命走って私の後を追いかけてきた。
ある日、友達との川での魚取り遊びに夢中になっていた私は、あたりが夕焼けの色になっている事に気がついた。と、同時に、弟がいない事に気がついたのだ。
私はあたりを必死になって探した。川のトンネルの中に顔を突っ込み、流されてやしないかと、必死になって探した。
探しても探しても見当たらない。心臓が止まりそうになって私は、家に帰り、両親に弟がいなくなってしまった事を伝え、一緒に探してもらおうと考えた。
家に帰ると、いつも夕方になると付いている部屋の電気がついていない。
(もしかしたら弟に何かあって、両親が出かけたのかもしれない)
焦る私。心臓は物凄い大きな音をたてて脈を打っている。耳に聞こえるくらいだ。
30分くらいしたときだった。留守のはずの我が家に電気がついた。おもむろに玄関が開き、母が顔を出す。
「入んなさい」
事態が掴めないまま、私は母に、必死に弟がいなくなってしまった事を説明する。聞き流す母。靴を脱ぎ、居間のドアを開け、中に入ると弟が座っていた。
自分で帰ってきたのだった。
ほっとするのもつかの間、母がヒステリックに怒鳴りだす。
「あんた!信彦が人さらいに連れて行かれたらどうするの!」
1時間以上怒鳴り散らされ、泣きながら謝るが、母の気はそう簡単には収まらない。
そのうち父が仕事から帰ってきた。父が着替える間中、母は父に告げ口する。
「あんた、ちょっと聞きな〜、この子はねえ、信彦を置いて遊びまわっていて、どこかに置いていっただで〜〜!あんた、怒んなきゃダメだで〜!」
疲れて帰ってきた父は機嫌が悪い。疲れて機嫌が悪いところに母の告げ口が追い討ちをかける。父は鬼の形相となり、私に怒り始める。
我が家には剣道の竹刀が数本置いてあった。父が私を叱る時に殴る道具として使う為だ。
頭のてっぺんを、竹刀がひん曲がる力で叩かれ、竹刀が縦に割れる。
竹が縦に割れると、腕や肩を叩かれた時に、肉を挟む。それがさらに痛い。
母の怒りを1時間。父の暴力を1時間耐え、泣いて泣いて、しまいには何がなんだかわからなくなる。一体、何が悪かったのかもわからない。ただ、弟が家に戻っていた事に安心して、その事にほっとして泣いていた。

3年ほど前、ディズニーランドに家族で出かけた。
末っ子の5人目が生まれて間もない頃だったので、歩ける4人の子供には、2人づつ、手を繋いで歩くよう指示していたが、上の2人のどちらだったか、梢の手を離してしまった。きっとあまりにも楽しい空間と、様々なキャラクターとの出会いに夢中になり、自分の妹のことなどすっかり忘れてしまったのだろう。
はっと私が気がついたとき、梢がいなかった。急いで周囲を見回すが、混雑している人ごみの中、何がなんだかさっぱりわからない。妻と子供たち4人に、ここを動かないように指示し、私はそれまで歩いてきた道を慎重に引き返し始めた。来た道の周りを、目を凝らして探す。しかし梢はいない。凶暴な変質者に連れ去られ、柔らかい腹を切り裂かれ、目を剥いて苦しむ梢の姿が目に浮かぶ。今までニュースの出来事でしかなかった子供の殺人事件が自分の子供の身に起こるのか・・・。と青ざめる。
(クソッ!どんなことがあっても見つけ出してやる!)
そんな風に気を奮い立たせ、来た道を戻る。回りを観察する。
10分、20分と、道を戻り続けるが、見当たらない。しかし、ある店の前で、梢が一緒に居たシーンを思い出した。そしてその辺りで、考えを改める。
(あの子の足で、こんなに動けるはずはない。戻った方がいい)
そこから半分くらい戻った位置で、少し遠くを観察する。来た道の前後ではなく、来た道の中間から、今度は左右に何らかの事情で動いたのかもしれない・・・・。
私が立っている位置から、30mくらい遠くに、ふっと梢らしき姿が見えた気がした。
ディズニーランドの係員と手を繋ぎ、泣きながら歩いている子供がいる。遠く離れたその姿を目で追うが、様々な障害物に邪魔され、見失いそうになる。
しかもそこに向かえる道がない。
仕方がないので、本来の道ではない施設の中を、ダッシュで横切った。係員に止められる隙も与えないスピードで追いかけた。
視力が両目とも2.0だった事も、間違いなく幸いした。
ザザッと泣いている女の子の目の前にたどり着き、その顔を見ると、間違いなく梢だった。泣いて私に抱きかかる梢の姿を見て、連れていた係員のおねえさんは一瞬安心したように見えたが、結構しつこく、本当の父親か、確認してきた。実によく教育されている。さすがはディズニー。ようやく妻たちの元へ連れて帰る。
「ちゃんと手を繋いでいなさいって言ったでしょ〜」
と、叱るわけでもなく、かといってやさしい声だけではない声で、思わず妻が声をかける。
しかし、私はあの、弟とはぐれた幼い頃の出来事を思い出し、やさしく子供たちに言って聞かせた。
そしてよかったねえ〜と言って、それまでより強く子供の手を握る。
妻は末っ子の乳母車を押していたから、私が梢の手を握って、歩きべきだったのだ。私の責任だった。
あの頃の私の弟、信彦は、どこか梢に似ている。梢にとっては叔父さんにあたるのだから、梢が信彦に似ていてもおかしくはないが、迷子になるところまでも似るのは困ったもんだ。

今でもイオンへの買い物の時など、ちょっと目を離した隙に、今では末っ子の梁が居なくなる。
ハラハラするものの、今では上の子たちが、私と近い危機感を持ってくれているので、少し安心できる。子供は成長と共に、意識のレベルも上がる。

夏休みに入った子供たちは、8月の半ばに私の田舎に行きたいと言い出した。5人全員。じいじとばあばのお家に行きたいって。
車で送るのが一番近いが、仕事もあるので子供たちだけで新幹線に乗せようという案が浮上。
5人全員で迷子になったりして。
ま、高校生の長女が一緒ならなんとかなるか。
しかし、子供料金は小学生まで?。
5人分かあ・・・・・・。
経費かかるなあ〜