世界水泳で自分を知った

私はやっぱり水泳が好きなのかもしれない。
この1〜2年、日本選手権を観戦したり、過去の水泳選手との接点が増えた。Facebookによって、水泳関連の友人や後輩との交流も復活した事が、この気持ちを積み上げたかもしれない。
わが愚息が、中学校進学の際に、それまで騒いでいた野球部への入部を取りやめ、水泳部に入ったことも、私だけでなく、我が家全体の関心を高めている。
それに先日は、中尾美樹さんも我が家に来てくれ、子供たちと一緒になって過ごしてくれた。会社のもと上司に、子供が水泳選手の方がいて、中尾美樹さんのサインを送ってあげた。凄く喜んでくれた。
久しぶりに鈴木大地さんと酒を飲んだことも、私の水泳への関心を取り戻させるきっかけになった。世界水泳の解説をしている大地さんを、私は自分の自慢みたいに思いながら見ていた。

本当に日本の競泳選手は強くなった。完全に世界の舞台で勝負している。25年前の私の時代には、世界で勝負できる選手は一人か二人しかいなかった。平泳ぎの高橋さんや不破央さん、長畑弘伸さん。私の種目であって1500mは、世界と1分離されていた。1分と言う事は100mにもなる。つまり50mプールでは、1周抜かされるということだ。
1500mの宮本選手は、私の現役時代の世界新より早い、15分を切っている。今回の世界水泳で、宮本選手は決勝へ進出した。それだけでも快挙だ。
記録は時代と共に塗り替えられていくという、人類の記録への進化と、その情熱の凄さをまざまざと垣間見た。
近年の競泳の世界を見ると、私はもっともっとかんばっていればよかったと、過去の選手生活を後悔してしまう。あの頃の自分の水泳に対する考えは、現在の選手達の比ではない気がする。それを時代のせいだけには出来ない。
先日、あるセミナーで、今の日本の40代は、腑抜けが多いという話があった。現在の40代を育てた親達は、戦後の混乱期の後、貧しい家庭環境に育ち、食べ物すらままならぬ時代で大人になった。大人になり働き出すと、経済発展に突き進む日本の産業や経済の中、労働基準法の整備されていない過酷な労働条件や環境の中で働き、自分の子供には、自分よりもいい暮らしをさせてあげたいと、その信念一心で生きてきた。自分の母親が、父に張り飛ばされる姿を見て、自分の妻には絶対にそんな目に合わさないと、そう考えた世代だ。だから妻に優しく何も言えず、子供に十分な教育と、十分すぎる娯楽や食事を与えたのだ。
その親に育てられたのが現在の40代。私も43歳。
私は実は、腑抜け世代だったのかと、妙に納得させられた。生きる逞しさにかける私は、この考えに的中。
自分なりには、中学時代に親元を離れ、過酷な環境で競泳に没頭し、その紆余曲折は、なかなか経験できない時間だったと思い込んでいた節がある。
しかし引退してからの私は、あの競泳選手時代のような目標を持つわけでもなく、金メダルになぞらえるような何かを目指し持ってきたわけでもない。
友人には、末期癌と診断され、骨盤内全摘出の大手術の末、人工膀胱人工肛門となり、自殺との戦いを乗り越え、人に批判されやすいネットワークビジネスで大成功した友いるというのに。
いい妻をもらった。そして甘やかしてもらいすぎたのだろうか。サラリーマンの世界で、出世競争に打ち勝ち続けていく日々に、私はそのストレスを、妻と過ごす時間で解消してきた。みんなもっともっと孤独なのだろうか。選手時代は明らかに、もっと孤独だった気がする。
自分はどう生きたかったのか・・・・。それが問題なのだ。
水泳選手には、本当に後悔しない選手生活を送ってもらいたい。引退後も安心できる世界なんてない。いや、選手時代以上に苦労するかもしれない。私もこれからの自分の生き方を再検討すべきなのか。
再検討・・・・・。
我が家の長男。そこそこ勉強できていると思い込み、成績表みたら愕然。そこで日頃の生活と勉強方法について再検討。
やっぱり塾に行かなきゃダメみたい・・・。
経費かかるなあ〜