再スタート

実質9日間の夏休みを取る事が出来た。
9日間、ずっと家族と過ごした。朝からずーっと。子供たちはうるさくて仕方がないけど、それでも全然飽きなかった。
久しぶりに富士の実家に帰った。
行きつけの鱒懐石に行き、定番の養殖場での餌やりを、子供達と楽しみ、鱒のつかみ取りにも行った。
つかみ取りの鱒は、もう逃げ疲れてヘトヘト・・・。
子供は楽しいだろうが、鱒にとっては地獄だろう。そこそこにしてやめた。

鱒は大体、黒っぽい色をしているが、突然変異によって、金色っぽい色の鱒が生まれる事がある。

でも魚って、人間の体温は熱すぎて、人が触れると体を火傷するって聞いた事ある・・・。
かわいそうなので、すぐに離すように言った。
そして富士宮の「氷穴」に行こうと思い、向かったが、関東方面の旅行者が激増!東北への観光客が、今年は一気に静岡県に向かったらしい。とにかく渋滞が激しいので、河口湖など、富士山のふもとの湖めぐりに変更。

実家に帰れば、甘やかす「じいじ」と「ばあば」が、アイス買い放題。食後とはいえ、1人2〜3個のアイスを平らげる。末っ子も4歳とは思えないアイス食い。

小学校時代の同級生の、村上ジュン君が我が家に遊びに来た。
彼はギタリスト。腕は完全にプロの領域だ。
私も昔の自分のギターを、実家の納戸から取り出して、メンテ。
弦を張り直し、初めてジュンとセッション。
ビートルズの曲を、数曲合わせてみたら、最高のセッションができた。
今度ライブをやろうと誘われ、色んなイメージが浮かぶ。
しかし、私のここ最近の環境変化にはびっくりする。
なんだか第二の人生が始まるような予感・・・。

宿題もやらずに、遊びまくって過ごしている夏休み。3女の梢は、お調子者でいつも笑っちゃう気のいい娘。疲れて爆睡。

奈良に帰った翌日、長男は県大会に出場。男子100m平泳ぎ。
参加者60名中、15番くらい。

初めて長水路のプールでレースに出る。本人は、まったく緊張している様子もない。スイミングにも通わず、水泳部に入った理由も良くわからない長男だが、父親の競泳時代の話を聞いて、自分も水泳部に!と、なかなか男前の長男じゃないか。
周りはスイミングに通う選手ばかりの中で、準決勝まで進んだのと同じなんだから。

このレースを見て私はあることに気付いた。
それは私は間違えていたということ。
このレースを見て、そして、またある人にそれを教えられた。
私は自分が苦労した水泳の時間を、子供に味あわせたくないとの思いから、長男をスイミングにも通わすことなく、そこそこやればいい・・・だなんて自分に言い聞かせてきた。
けれど、子供にはお金や財産を残す事はなくても、「教育と文化」だけは残したい!だなんて言ってきたのは、他でもない私だったのに。
妻に、スイミングの月謝は払えない!と言われただけで、私は妻を言って聞かせる事もせず、議論を避け、そのネガティブな帰結を長男の成長やチャレンジの阻害に費やしてしまったのだ。

この夏休みは私にとって、物凄い濃縮された期間だった。
休みの最後に、人生を再スタートするきっかけを与えてもらった。
ここでは上手く言えない。
私ではまだ、素敵に伝えられないだろう。
しかし、これからの私の言葉が、きっと微妙に変化していく気がする。ある人とのこの出会いが、私の人生をリセットし、新たなスタートとなる出会いだったのだ。
今思えば、ここ数ヶ月、そのすべてが今のための複線だった。
別に仕事を変えるとか、そんなんじゃない。
馬鹿馬鹿しいから言いたくないけど、もちろん宗教なんかじゃない。

私は確かに何かが突き抜けつつある。
先日までの自分とは、まったく心が違う。
人生が大体こんなものだろう・・・・と思い始めていた。
しかし、私の人生はこんなものじゃなかった。これからが楽しみなのだと、自然にそう思うようになってしまった。
笑顔が増え、妻も優しくなった。子供たちも笑い顔いっぱいだ。
今までもそのつもりでいたが、今はもっともっと良くなった。

数時間のある人とのシェアで、私は昔の自分に返った。自由な気持ちだった純粋さを取り戻した。
何かを変えるとか、好き勝手に生きたいとか、そんな低次元なことではなく、自分の人生は、自分自身が支配者であるという本来の心のあり方に戻ったのだ。

強太郎をスイミングスクールに行かせることにした。
私はギターを弾く。
妻をもっと手伝って、妻の笑顔を増やす。
子供たちを上手に叱ろう。もっと話もしよう。

そもそもなぜ行きたくもない会社に辛抱して通勤し、好きでもない上司と必死に渡り合い、反面教師をして、人は鏡だと自分に言い聞かせ、自分はそんな上司にはならない!部下を愛し、部下の人生を少しでも豊かにしてやるって、そう思って生きてきたか。
それは元を返せば、全部、「妻の笑顔」が見たかったからだ。
安心できる暮らしを妻に与えたかった。
彼女の大きな口を開けて笑う顔が見たかったからだった。
妻の幸せそうな顔を見たいばっかりに、その為に自分を殺して来たんだ。時々疲れて、自分の生きている道を妻のせいにしたりして、自分で選んだのに、でも妻を手放したくないから、自分に嘘ついて。
そして、妻を失うのが怖かったから、いたずらに独立する事もしなかった。慎重に慎重に考え、危険を避けた。危険を避けすぎて、今でも人に雇われている。
しかし、勝負する力はあったのだ。だから出世した。給料も上がった。中途社員では出世頭かもしれない。
けれど、だから何だったんだ?別にサラリーマンは望んでいた事じゃない。その方法しかわからなかっただけだ。
妻の笑顔を見続けるためには、他の方法が思いつかなかった。

しかし、私たち夫婦が選んだ幸せは、5人の子供という大変な世界を選択したことだった。満足な教育も、不自由ない生活も、この辺が限界に来ている・・・。
だからこれでも収入が足りなくなった。所得が大台に届いても・・・。
それを言い訳にし、下を見ながら自分に言い聞かせた。
(そこそこ稼ぐサラリーマンなんだ。子供も多いんだから仕方がないんだ。)
そう自分に言い聞かせ、自分を洗脳した。

けれど、案外あっけなく自分の洗脳が解けた。それはシェアしてくれた新しい「師」との出会いのおかげだ。
これから私たち家族と、私を本当に好いてくれる仲間は、きっとどんどん良くなっていく。私がそう望み、そう行動するからだ。
人の為に力になろう。それが私の力になる。
人に喜んでもらおう。それが私の喜びになる。
自分の愛を人にただ与えよう。私の愛に包まれる人を見るのは、この上ない幸せな出来事だから。