新しい螺旋

文中一部修正



サラリーマンの数だけ、サラリーマンのスタイルがある。
私はどんなサラリーマンなのだろう。
思えば、27歳程度までの対象者という募集記事を読み、30歳で応募した。
面接で年齢オーバーなのに、どうして受けたの?と聞かれ、それなら何で面接に呼んだ??と思いながらも、「その辺の30代とは質が違いますから!」と強気に言った。

でも決まった初めての勤務先では、毎日会社の経費で飲んだくれて、私に自慢話を延々と続けるノイローゼ気味の人と、半分精神病で、出身地の東北を自慢しながら、いかに自分が優れていて、いかに私がダメ人間かを、日本酒に酩酊しながら朝まで話し込む2歳年上の人に、私は徹底的に人格を変えられた。(役職名などは削除)
当時、それまでの人生を考えると、よくあんなおかしな二人に我慢してきたもんだ。
2人ともとにかく酒を呑む。呑んで呑んで自慢と説教と攻撃だ。
入社し、配属されて、3日で最初に辞めたいと思ったけど辛抱した。
妻を不安にさせたくなかった。
恩師と3年我慢しろと約束した。
反面教師で仕事できるほど、要領は良くなかった。だから入社配属されてからの数年間は、きっと半分ノイローゼだったんじゃないかと思う。
当時はよく妻と喧嘩した。というより、妻に八つ当たりしていた。
本当に申し訳ない時間だった。
布団にもぐりこみ、体を丸めて泣いた日もあった。
悔しくて、情けなかった。なぜこんな馬鹿げた世界があるのか。
なぜ、こんな異常な世界が当たり前だというのか。
世間と世界が信じられなかった。なぜみんな我慢できるのだろう。
なぜ呑んで忘れられるのだろう。

ノイローゼの人はその後自分で会社を辞め、酩酊してロレツが回らない先輩上司は、私に追い越され自分で辞めて行った。

気の狂った人の後に現れた新しい人は、言い方は失礼ではあるけれど、私にとっては友のような気持ちにさせてくれる人だった。(役職削除)
今は東北にいる。離れて随分経つが、どこかで繋がっている気がする。そんな関係だ。

その後の私は、気の狂った過去の人を反面教師にし、自分が水泳で培った人間関係と、人生の「師」から教わった聖職者としての教育者の倫理を、自分なりに実践しようと努め、そして現在に至る。
努力はしてきたが、先日は、まったく違う世界で苦難を乗り越え、私の恩師とはまた一味違う、それでいてどこか同じにおいのする人に、自分の人生をシェアしてもらったことで、まだまだ私は自分を活かしていなかったことを知った。

新しい渦が起きる時でも・・・・、でも人には温度差もある。
時には熱く接する必要がある。何もしなければ、何も起きないからだ。そっとしておく事の方が、時には罪になることもある。