勘違い

「今日の朝9時に、打ち合わせの約束をしたと言って、Oさんが待っていますけど、どうします?」
と、部下からメール。
(んあ?そんな約束していないけどなあ・・。)
そう思って、約束はしていないよ、なんか来るとか言ってはいたけど、未確定のつぶやきだったはずだけど。
と返信メール。
「了解しました」
と返事は来たが、こちらの予定を済ませ、事務所に戻ると、先方Aさんが、「確かに約束したはずだ。」とご不満だったそう。
いやいや、約束はしていないよなあ。しかも、9時に!なんて具体的にしていたら、そりゃあ覚えてるわな。もしくは手帳に書くやん。
そう思いながら、誤解のままもどうかと思い、30分前に出たらしいOさんの携帯に電話してみるがつながらない。
(なんやねん)
折り返しも来ない。
同じ社内の違う部署の生産側の責任者。
一体どちらが勘違いしたのだろうか。
私?
Oさん?
今となってはその時の会話を、ビデオにでも撮っていなけりゃ、真実はわからん。
でも私は自分に100%の自信はない。言うても、99%と言うべきだろうか。
なぜなら人間は勘違いする生き物だからだ。それは自分も含め、Oさんでも、誰でも起こす脳のエラーである。
それでも、いや、絶対に約束はしていないはずだ!と、自分の記憶に自信がつのる。
電話がつながり、確認した。しかし先方Aさんは絶対に譲らない人。
完全に自分が正しくて、私が約束を忘れたと思い込んでいる。不機嫌だ。何を言っても始まらない。
人のいい私は、「私の思い違いかもしれませんね。すみませんでした」と謝る。
それでもOさんは不機嫌そのまま。低い声で不機嫌に答える。
「はい〜。」
もし私が本当に勘違いしていたとしても、そんなに不機嫌にしなくてもいいだろうに。
しかも、同じ社内で、よく顔を会わせるんだし、そもそも、もう少し私の事業所に顔を出してしなければならない仕事があるはずなのに。
むしろAさんの仕事を私が散々代行しているのが現実なのだ。
しかし、彼はそんな事はお構いなし。
それとこれは違う話という立場。しかも、一切譲らない。

結論から言うと、そんなんだから10歳も年上なのに私より等級が下なのだろう。会社にどう評価されているかなど、私はどうでも良いが、一方では現実、そのように評価されても仕方がないだろうとは思う。それでも肩を叩かれ、早期退職を促されていないだけ、我社は良心的な会社かもしれない。

自身の正当性の主張からは、決して正義は見つからない。
まして仕事であればなおさらだ。
仕事は元来、「傍を楽にする」為のものである。「働く」という意味だ。
傍を楽に・・・という考え方は、人の幸せに貢献したいという、人間が本来持っている貢献欲からの帰結であり、それが道徳や倫理という形になって、この国の文化を積み上げてきた。
たしかに欧米のリバタリアニズムのような、利益至上主義、自由経済主義のプロパガンダや政治圧力によって、人間本来の貢献欲を否定されつつあるのが現代社会かもしれない。
しかし、それでも人は、悲しい物語に涙する生き物だ。
だから、自身の正当性の主張で、世界を狭めてはいけないと思う。
人に喜んでもらえるような、自分の心の在り方を見つめることが必要だと思う。