お弁当

今まで結構長い時間ブログを書いてきたのに、記事を書く画面に、「お知らせ」なるものがあって、「今週のお題は『お弁当の思い出』です」なんて書いてあるではないか!!なぜ今まで気付かなかったのだろうか〜!俺は馬鹿なのか〜〜!
実は私、ブログ記事を書く事と、コメントを入れること以外、ほとんどこの「はてなダイアリー」の仕組みを理解していないのだ。
トラックバックとか・・・、まったく意味がわからない。
アクセス関係のことなら少しはわかるが。

お弁当の思い出は結構沢山ある。
しかし一度、とんでもないほどの思い出があることをまさに思い出した。
それは中学1年の射精大会の・・・いや、写生大会の時だった。
その日は雨で、近くの山に登って写生を行う予定だったのが、雨なので、校舎の好きなところで、好きな場所を書く事になった。
季節は6月ごろだったと思う。梅雨の時期だ。
その日は雨だった事もあり、画用紙が湿気で重くなって、エンピツの下書きも上手く書けず、絵の具も滲んでしまって、下手な絵が、よけいに下手になって、なんだか上手くいかない1日の出足だった。
お昼になって、各自、自分の持参した弁当を開ける。
お腹がすいた私は、お袋の作ってくれた弁当を楽しみにしていた。
お袋は昔から、とにかくおかずをいっぱい入れてくれる。
ご飯をそれほど食べない私は、家でもほぼ毎回1膳しか飯を食べない。
そのくせ、おかずは沢山食べる。
その日のおかずは確か、
玉子焼き
豚肉のしょうが焼き(砂糖入り)
ソーセージ
トマト
ひじき
辺りだったと思う。
食べ初めて、大好きな数本のソーセージのうち、まず1本を口にした。
少し普段と違うような風味がしたが、そんな事は腹が減っている中学生には関係ない。
水筒の麦茶と共に、どんどん平らげた。
基本的にお袋の弁当は昔から美味かったから、大満足だったことは間違いない。

しかし、30分位してからだったろうか。
急にお腹に激しい刺し込みが入った。
「きゅぅ〜〜〜〜〜っ」
いたたたたっ!と腹を押さえ、トイレに駆け込む。
「チャァ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っ」と、おしっこなのか下痢なのか、わからないほどの完全「水下痢」だ。
出す物出したら楽になるかと思ったが、お腹の痛みが尋常じゃない。
痛くて動けない。
しかし、写生大会。まだ絵は未完成だ。
波のように、一定の周期で訪れるお腹の痛みを耐えながら、下書きに絵の具をのせる。
1時間の間に数回トイレに駆け込んだ。毎回尋常じゃない刺し込みがお腹に刺さる。
いたたたたたたっ・・・・。
もうだめだ。耐えられん!
先生にお腹が痛くて耐えられません。
自分で帰れません。
動けません。
何も出来ません!
助けてください〜〜〜っ!
と啼きついた。

そのまま先生の車に乗って、開明堂という病院へ。
血液検査など済ませ、診察し、結果、即入院。
食中毒という診断。

そう。お袋の弁当、腐っていた。

その夜私は腹が痛いのと、大事な息子に腐った弁当食わせたお袋が憎くて、病院のベッドで泣いた。
テレビもないから暇だろうと、お袋がラジカセを持ってきてはくれたが、入っていたテープが、「クロード・チアリ」。
タララララリ〜ン・・・・。
何度も何度も同じ曲を聴き続け、私は43歳になってもまだ、あのクロードチアリの曲、「オリーブの首飾り」を聞くと、あの時の苦しみを思い出す。
なかなか回復せず、2週間入院した。
その2週間の間、1日に10回以上水下痢し、何を食べてもすぐにお腹が痛くなり、肛門はヒリヒリしたまま、力を失い、ほとんど寝て過ごした。

その後、東京での寮生活になってからも、全日本級の大会に、お袋が弁当を作って差し入れてくれた事もあった。
また、現役時代にシーズンが終わり、数日実家に帰省した時に、岩場の海に家族で「す潜り」に出かけた時も、お袋が弁当を作った。
私に子供が出来てから、我が家族と、お袋や親父と、ハイキングに出かけた時も、お袋は弁当を作って持ってきた。
いつも美味そうな弁当だが、あれ以来、私は必ず食べる前にお袋に聞く質問がある。
「これ、腐ってない?」
お袋は現在60歳を越えているが、完全に当時の事を忘れている。
いや、本当は覚えているが、絶対に何もなかったかのように振舞う。
自分の作った弁当が、腐っているなんて事、ありえない・・・というばかりに、一切認めない。
「これ、腐ってないよねえ〜?」
「やだっ!そんな事あるわけないじゃん!」
と強気に答えるお袋だ。
お袋の作る食事は大好きだ。しかし、お袋の作る弁当だけは絶対に警戒する。危険極まりないからだ。