でくのぼう

雨にも負けず 風にも負けず 
雪にも夏の暑さにも負けぬ丈夫な体を持ち 
欲はなく 決して瞋(いか)らず いつも静かに笑っている 
一日に玄米4合と 味噌と少しの野菜を食べ 
あらゆることを自分を勘定に入れずに よく見 聞きし 分かり 
そして忘れず 野原の松の 林の蔭の 小さな茅葺きの小屋にいて 東に病気の子供あれば 行って看病してやり 
西に疲れた母あれば 行ってその稲の束を負い 
南に死にそうな人あれば 行って怖がらなくてもいいと言い 
北に喧嘩や訴訟があれば つまらないから止めろと言い 
日照りのときは涙を流し 寒さの夏はおろおろ歩き 
みんなにデクノボーと呼ばれ ほめられもせず 苦にもされず 
そういうものに 私はなりたい




宮沢賢治だ。

この詩を読むと、私は自分の師である米さんを連想させる。
しかし、この詩の内容を上から順に追って行くと、私の知っている米さんのそれとは、まったく違うポイントだらけ。
確かに笑顔は多かったけど、静かに笑っているだけってことはない。笑顔のそれに負けないくらい、いつも私はド叱られていたし、教え子達も、毎日の練習で、よく通る大声で、顔全体を覆った髭の中から現れる大きな口で、
「なんばしょっか〜!おまえ〜〜〜!!」
と、叱られていたものだ。
でも、なんと懐かしい光景か。
私の心の中には鮮明にあの頃の画が輝いている。
ま、それに、一日に玄米4合と味噌と少しの野菜を食べ・・・なんて、米さんには考えられない。
米さんは、朝飯はパン一切れくらいだが、よくコーヒーを飲んだ。お茶も飲んだし、結構牛乳だって飲んだっけ。
けど、お昼は喫茶店のスパゲッティ大盛りや、焼きそばなどの麺類か、餃子3皿と大盛り飯という組み合わせだったり、餃子とチャーハンだったり。しかも、3時から4時過ぎになると、インスタントラーメンを2つ、
「麺固め!味濃いめ!」
といって、私に作らせた。おかげで今でも私は、インスタントラーメンの作り方が絶妙に上手い。
甘い物も大好きで、羊羹1本を、バナナを食べるみたいに丸ごと握って「ガブッ!」っと食べた。食べ終わると、口ひげに付いた甘い味を舐め回した。子供の頃はそのワイルドな姿に、恐れおののいたものだった。
大人になってからはそんな光景にもずいぶん慣れて、むしろ米さんの雰囲気をマネしたものだ。

あらゆることを自分の勘定にいれずに・・・・・、このあたりになると、米さんそのものだ。
米さんは、何をするにしても、物事を判断する上で、自分の損得勘定を無視する人だった。真正面からそうやって生きる姿に、私はそこに「師」の姿を見ていた。
口では後付けでかっこいい事を言い、自分の利害判断を隠し、あざとく自分を飾る人もいる。
しかし、それはばれてしまうものだ。世間や人はそれほど馬鹿じゃない。自分では上手く騙せているつもりでも、そのほとんどがわかってしまうのだ。
米さんの魅力のすべては、自分の重要性を捨て、自分が相手に何を与えられるか、そこにしか興味のない人だった。与え続けていれば、そのうちほんの一握りでも、なにか帰ってくることもあるさ。と言って、何も求めない人だった。だから私は、自分の人生の時間をすべて使って学んでも、きっと米さんには追いつけない・・・と、そう感じるのだ。私が追いつける域の人ではない。
よく人の面倒を見た。
人助けしすぎて、借金背負わされて、そもそもそれが・・・・・、会社を失うまでになった原因だった。人が美しすぎて、経営なんて向いていなかったのかもしれない。保証人なんか、ならなければ良かったのに、頼まれて断わらなかった。
そんな米さんだから、多くの人が無償で手を差し伸べた。きっとそんな米さんを見て、損得と利害の世界に生きるほとんどの寂しい大人も、自分の理想を米さんになぞらえたのではないかと思う。
喧嘩や人間関係のトラブルが起きると、米さんはいつも、
「つまらんことはやめろ。ま、いいか。とお互いに許せ」
と言って、争いごとを一言、二言で、止めさせてしまった。周りの怒りを消し去った。
しかし、自分の怒りには実直だった。人の事になると神がかりのような力を発揮するのに、自分の怒りは凄まじいものがあった。米さんは道徳にもとる上席との戦いを、繰り返した人でもあった。
水泳連盟役員理事などが、選手を第一に考えず、自己の利害や出世などに傾注する姿を見て、いつも怒りをあらわにし、戦いを挑んだ。
私も日本選抜合宿で、私自身のことをきっかけに、選抜合宿主催派と大喧嘩となり、途中で合宿を引き上げた事もあった。水泳連盟を敵に回し、競泳人生を棒に振る直前のような事を引き起こした。
周りの選手たちにとっては私たちはヒーローだったが、水泳連盟や連盟に媚びへつらう一部のコーチには、煙たい存在だっただろう。

米さんは、みんなにデクノボウとは言われなかった。しかし、私は米さんの意気地なしを知っている。
雨にも風にも、まったく負けない体だったし、そういう風貌だったけど、自分が手塩にかけて育てた選手の、ここ一番のレースを、見ることすら出来ない人だった。
私も、央も、長畑も、田川も・・・、日本選手権を獲得した選手だ。
簡単に言えば、見事に日本チャンピオンにまで、米さん本人が育てたのに、教え子のレースを見ることが、緊張しすぎて出来ないって言うんだから・・・・・。
そこだけ、そこだけで言えば、「でくのぼう」じゃん。先生。
米さん、ごめんなさい、こんな事言ったりして。
でも、息子みたいなもんだから、許してください。

でもそんなあなたのように・・・・・

私はなりたいんです。