私の貫くもの

長男がスイミングスクールに通い始めて2週間が経過した。
最近ではいつもなるべく早めに迎えに行き、息子の練習風景を見ているのだが、私が現役の頃の練習とは決定的に違うポイントがある事に気づく。
その中でひとつ、小さな驚きがあった。
私の現役の頃、30年近く前だが、キックの練習はビート版を使ってやるものだった。
しかし私は大学でコーチになった時、短距離の選手を強くするのに、壁キックを多く使った。さらに、呼吸を10秒程度止めさせたまま、体内の酸素を使い切るような、激しいインターバルを組んだ。また、ストローク中の姿勢保持を一番狂わすキックの存在を、手で壁に向かって体を固定する事で感じ取り、水中姿勢をよりナチュラルにする、気づきを選手に与える為に取り入れた。
しかしなんと、現在では、壁キックを選手クラスの練習メニューで取り入れているらしいのだ。どこのスイミングでも取り入れているわけではないかもしれないが、昔の練習では圧倒的に壁キックなど、誰も取り入れていなかったから、心底驚いた。
大学時代、前出の「原田長政」さんを短距離選手として大成させるために取り入れた、考えた末の練習メニューである壁キックだったが、1時間くらい続ける事も多く、先輩達や、同級生でも、横から非難を受けたものだった。
「壁キックなんかやって、速くなるわけないじゃん!」
そう何度も忠告された。
しかし、自分のトレーニング手法のイメージに確信があった。
あの時、周りの知ったかぶった雑音に惑わされなくて、本当に良かった。
私が雑音に流され、意志を貫かなかったら、長政はチャンピオンにはなれなかっただろう。危ない危ない。

今でも、様々なことで同じ事が言える。

何か行動を起こそうとすると、「やめとけ〜やめとけ〜」と、悪魔が囁く。周りの雑音が聞こえる。陰でコソコソ後ろから指を刺す人がいる。それでも負けちゃダメなんだろうな。
しかし私は、あの頃と違って、サラリーマンを続けてきたこの15年くらいの時間で、極力世間さまからの避難や批判を受けないようにする、本来の自分らしくないテクニックを身に付けてしまった気がする。
また、そうでないとサラリーマンの世界ではやっていけなかった。
15年前の入社当時は、本当にしんどかった。
会社の経費で毎日酒を煽る上司と、その上司に表では媚びへつらう、同じ酒好きの上司達に、飲んでる席で、どれだけ侮辱されても、中途採用の新人であった私は、作り笑顔で、お酌をし続けた。
屈辱と怒りを押さえ込み、家で待つ、妻と当時2人しかいなかった子供たちを思い浮かべ、辛抱した。
けれど、そんなことを繰り返しているうちに、自分が自分らしくなくなってしまった。
いやでもむしろ、そもそもきちんとサラリーマンなんか務まる訳がないと思っていた私のもともとの性質が、こうして耐え続ける事で、社会の一員になれる・・・と思い、また、世の中のサラリーマンの方々も、多かれ少なかれ、こうした上席の不条理に耐え忍び、家族を守っているのだと、自己反省した。
そうやって自分に言い聞かせた。そして、だから今のポジションがある。仕事は一層大変になる一方でも、さらなる処遇の向上を獲得し、家族も増え、セレブじゃないけど、そこそこいい暮らしを獲得できたのだ。
でもまったく満足していない。自分の本来の意志は、遠い昔に消え去った気がする。
これが本来の私なのだろうか。このままでいいのだろうか。
自分じゃない・・・とは言わないが、何かをたくさん失った気がする。
というより、蓋をしてきた何かが、心の底にあるのだ。きっとそれは、「水泳」だと思う。

過去私は、自分自身の水泳の成功体験と、選手を育てるという成功体験をしたが、結局貫き通したわけじゃない。水泳では日本チャンピオンだっただけで、オリンピックには出場していない。私の種目はオリンピックにエントリーされず、出場できなかった。でも、4年後があったはずなのだ。
コーチとしても、結局それを貫かなかった。米さんの元を去り、まったく違う世界で、文字通りゼロからやり直した。すでに30歳近かった私は、むしろマイナススタートだった。

決してやり抜いていない水泳を、今は長男のスイミングスクールのお迎えと、その練習風景を真剣に、いわばコーチの目で観察する自分が、何かとても懐かしく、そして震える闘志を覚える。

これからの水泳への関わり方を工夫しよう。
選手はありえない。コーチはやれない。だけど、黙って長男を応援しよう。素直に水泳を楽しみ、関わるすべての人を応援しよう。
そして何より、自分が水泳を愛しているという気持ちに素直になり、その思いを貫いていこう。