倫理と正義と罪

教え子である女性と関係を持つというのは、基本的に指導者にはタブーな世界だ。
ここで基本的には・・・と書いたのは、恋愛感情が起きる事、そのものが、はたして悪なのか・・・と言えば、そうは言いにくいからである。
また、出会った形が指導者の生徒の立場であっても、その後、真摯にお付き合いを続け、末に結婚するなど、結果的にその関係をまっとうしていれば、それについて周りがとやかく言うのはむしろ倫理にかける。
しかし今回の事件はそうではない。
本当に残念だ。内柴さんはどうして踏み止まれなかったのか。
彼は非常に愛妻家で、子煩悩な理想の父親であったはず。
2度のオリンピックで連続金メダルを獲得するという神業とも言うべき奇跡的ともいえるほどの努力をして掴んだ栄光。
それはこれで消え去る。
そして悪の所業をした男として、徹底的に社会から制裁を受けるだろう。

本当に残念だ。
私は彼が、妻を心から大切に思い、愛していたことは事実だと信じている。いい加減な気持ちではなかったはずだ。だって、そんな男だったら、オリンピックで2度の栄光を掴み取るなんて、絶対に不可能だから。

彼は、教え子との関係が「同意の上だった」と主張している。
現実問題、きっとそりゃそうだと思う。
まさか柔道で鍛えた力で、無理やり犯すなんてこと、メダリストはしやしないだろう。
けれど、彼は妻帯者だ。
そして、半ば公人というおおやけの人という要素を持ってしまった人だ。有名税とでも言おうか。妻帯者であるだけで、教え子と同意の上で関係を持った時点で、それが世間に明るみに出たら、マスコミは大喜びして彼を断罪する。そんなことはわかっていたろうに。



愛する妻が居るのに。
教え子に酒呑ませての上だったなんて。
しかも、教え子だなんて。
指導者なのに。どうして生徒の大切な青春の時間を、妻帯者の性癖で奪ったりするのだ。どうしてアマチュアスポーツに打ち込む可能性の多感な時間を、自身の性癖の奴隷に扱うのだ。
残念だ。
これは倫理上、指導者であるというだけで、社会からは制裁を受け、抹殺されても仕方がない。
彼は指導者失格だ。私から言わせれば倫理上の問題では、同意であろうと強引であろうと、倫理的には許せない事に変りはない。


しかし、別の角度から今回の問題には違和感を感じる。

準強姦罪」という罪。しかし、これ、今回に適応されるのだろうか。また、この罪、一体なんなのか。こんなに不条理な罪があるのだろうか。こんな事で罪に問われるなら、男の側だけは、常に冤罪と、隣り合わせってことになる。
倫理上の問題はちょっと置いといて・・・・・。
口説きたい女性が居て、いい雰囲気にして願わくば今晩!と思って楽しく過ごす。女性も楽しんで、どんどん酒も進む。雰囲気は最高だ。酩酊するまでであろうと、ほど良くであろうと、20歳以上の大人の判断による飲酒だ。
ノリに乗って、気がついたらベッド。流れで関係を持つ。
でも、次の日、気がついた女性。我に返り、こんなはずじゃなかったと泣いて泣いて後悔。ついには誘ったあなたに無理に強姦された!酔っていて覚えてない!ずるい!卑怯!と、もう逆恨み・・・。

こんな場合は危ない危ない。
ただ、上記の場合は、厳密な捜査がなされれば、きっと男性は有罪にまではならないだろう。

だがしかし、たぶん、罪に問われただけで、社会的に抹殺される可能性が高いのだ!釈放されても逮捕されただけで、社会から犯罪者扱いされ、生活環境も仕事も、場合によっては家族をも失いかねない。

冤罪だ・・・・・。

しかもこの法律、すべて「女性の」とか、「女性に」となっている。
恐ろしい。法律までセクハラだ。(笑)
要するに、「逆」がない。男性が女性に・・・というケースが想定されていない法律なのだ。
すごい不平等だ。笑える。

女性専用車輌と同じ。あれも馬鹿げてる。実に不快だ。女性に怒りを感じるのではなく、本物の「チカン(男だろう?)」に、真剣に腹が立つ。
女性はトラウマになる人だっているだろう。高校生など若い女性であれば、男性恐怖症になることもありえるだろう。
そう考えればギリギリの対策として、女性専用車輌という選択になるのもわかる。


しかし、以前こういうことがあった。
朝の通勤電車で座っている時、3人掛けの椅子に私と年配のサラリーマンらしき男性が端と端に座っていた。真ん中にひとり分空いていたが、私も体が大きいし、年配の男性も大きい方で、少し真ん中の空いてる席が狭い気もしていた。
次の駅に着くとそこへ、若い女性がドスッと座った。
暑い夏の日で、私は半袖のカッターを着ていたが、腕が少し汗ばんでいた。
そこにピチピチTシャツの女性が突如、ドカッと座り、私の腕に、自分の腕が当たった。
私のにじみ汗が少し付いたのだと思う。
瞬間、私は腕を引っ込め、肩を窄め、小さくなったが、次の瞬間、女性が「ちっ!」と舌鳴らし。
そして、わざとらしい咳払いをして、ゴリゴリッと、椅子に寄りかかり、両側の私と年配男性は、体を前に出し、肩を窄めて座り直した。
私は嫌な予感と危険な香りがして、すぐに立ち上がり、違う場所へ移動。そして離れた場所でつり革手すりに掴まり立って電車に乗った。

何が言いたいかというと、生意気で自己中心的で、自業自得のバカ女であっても、電車の中は女性と言うだけで圧倒的に有利。
変な言いがかりつけられて、「チカン」扱いされたら、私は仕事を失い、場合によっては妻や家族や、社会的な信用も、(信用はそもそもないかも笑)失いかねないと言う事なのだ。
裁判や捜査で、運が良ければ冤罪となり、むしろ被害を訴えた女性の方が罪になることもあると信じたいが、「男はそもそもスケベである」という前提に立った電車周りの法律と現実に、訴えられた男はすべてを失うだろう。
長い年月をかけて、努力と辛抱の末に掴んだ会社での地位や、社会における立場、苦労の末に育て上げた一言では語りつくせない夫婦の愛情、子供たち・・・。それらを、狂ったバカ女のせいで、一瞬にして失う事もありえるのだ。
そして、実際に多くの男性が、それらの冤罪によって苦しんでいる。


内柴さんは、倫理にもとり、社会から制裁を受ける。指導者であり、いわば聖職者であった教育者の彼が、妻帯者と言う立場でありながら、自身の地位や名声を利用し、教え子を一定の洗脳を以って、飲酒までさせて、行為に及ぶというのは、もはや、指導者とはいえない。指導者や教育者であってはいけない。させてもいけない。社会は厳しく制裁をするべきだろう。

しかし相手が教え子であっても、また、自身が妻帯者であっても、社会から断罪される覚悟を以って、教え子を愛してしまったなら、そしてそれを全うするのであれば、様々な批判を覚悟の上でならば・・・・、そういうケースだってあるだろう。
すべてを十羽ひとからげにするのは大間違いである。
私の周りでも教え子ととても幸せで素晴らしい家庭を築かれている方は沢山いらっしゃる。



内柴さんのこのケース。
準強姦罪にあたるかどうか・・・というこの罪の内容。
そして、「逮捕!」という事実。
これには大いに違和感を感じるのだ。
何かが隠れている。
何かおかしい。


強姦罪準強姦罪は同じ法定刑である。