ノーサイド

車の中で、久しぶりに懐かしい曲を聴いた。

ユーミンの『ノーサイド』。

私はラクビー選手だったわけではないけれど、この曲を聴くと、アマチュアスポーツを小さい頃から長い間続け、雨の日も、風の日も、毎日毎日練習を積み重ねてきて、小学校、中学校、高校大学と、学生時代をアマチュアスポーツに捧げた、あらゆる人たちの事を思ってしまう。

ほとんどの選手は勝てない。

多くの時間を犠牲にし、すべてを捧げて打ち込んでも、ほとんどの競技者は敗者である。

優勝したり、準優勝や入賞者は、わずかな人しか獲得できないのだ。

敗者は、勝者の喜ぶ姿を遠めで眺め、神の振り下ろす残酷な鉄槌を受けながら、涙を流す事もできずに、実にあっけなく選手生命を終える。静かな終わりである。

どれほどの競技者が、そうして現役を去っただろう。
スポーツは本当に残酷だ。そして、であるがゆえに、代えがたい思い出として、多くの人の心に刻み込まれるのかもしれない。
その思いでを、自身の人生の糧として、もっと残酷な経済社会の荒波の中に向かって歩んでいく。

私は現役時代華やかな活躍をし勝つ経験を積み重ねた。
しかしそれでも肩を壊したことをきっかけに、現役の道にけじめをつけたときは、言いようのない寂しさと、胸を引きちぎられるような悲しさを感じた。
でも、恥ずかしくて涙なんか流せなかった。
友の前でも、両親の前でも、恋人の前でも、誰の前でもその悲しさを現すことはできなかった。

だからこの曲を聴くと、作詞者の松任谷由美さんの感受性の深さに心から尊敬してしまう。なぜ、選手の気持ちがこんなに分かるんだろうって。
この歌詞はラクビーの事を歌った曲だが、この感性は、すべてのアマチュアスポーツを生きた人々に通じると思う。


ほろりと涙が溢れるこの曲。


私も昔、こうしてひとつの事に、青春をかけて打ち込んだ。
友達と遊ぶ時間もなかったし、日曜日も練習だった。冬休みは合宿だったし、夏休みはシーズンで緊張しながら、大会の連続で過ぎ去った。
自分で選んだとは言い切れない道だったが、それでも今思えば幸せだった。
引退した時、誰の前でも素直に涙を流せなかった私だが、今、ひとりきりでなら、静かに思い出と共に涙を流せると思う。





ノーサイド


彼は目を閉じて 枯れた芝生の匂い 深く吸った

長いリーグ戦 締めくくるキックは ゴールを反れた

肩を落として 土をはらった ゆるやかな冬の日の黄昏に

彼はもう二度と 嗅ぐことのない風 深く吸った



何をゴールに決めて

何を犠牲にしたの

誰も知らず



歓声よりも長く 興奮よりも早く

走ろうとしていたあなたを少しでも 分かりたいから



人々がみんな 立ち去っても私 ここに居るわ


同じゼッケン 誰かがつけて

また次のシーズンを かけていく

人々がみんな あなたを忘れても ここにいるわ



何をゴールに決めて 

何を犠牲にしたの

誰も知らず



歓声よりも長く 興奮よりも早く

走ろうとしていたあなたを少しでも 分かりたいから



人々がみんな 立ち去っても私 ここに居るわ




今、東京では、全国ジュニアオリンピックが行なわれ、全国の優れたスイマーが集まり、激戦を繰り広げている。私も昔、最優秀選手賞を獲得した大会だ。


そしてさらにもうすぐ、水泳のロンドンオリンピック選考会が始まる。
オリンピックを目指してすべてを競泳に捧げてきた全国のトップクラスの選手たちが、紙一重の戦いを繰り広げる。


そして誰かが勝ち、ロンドンの切符を手に入れ、それ以外の誰かが敗者となるのだ。




でも、どうかみんな素晴らしいレースをして欲しい。
ベストを尽くし、後悔のない、悔いの残らないレースを・・・・・。
心からそう願う。