古田さん

7〜8年前。

会社で新規事業を立ち上げ、浜松の私の拠点で、突然私がその担当に任命された事があった。
なんの準備もなく、突然の営業担当指名に困惑しながらも、考えようによっては新たな事へのチャレンジであり、まるっきりゼロからの立ち上げと言う事もあって、ワクワクする気持ちもあった。

とはいえ、いきなり初月から、出来るわけもないような予算を組まれ、途方に暮れ、どこに行って、何をしていいかも、何も会社からは教えられず、とにかく飛び込み営業から始めた。



会社が包括的に取引を始めることになったあるフォークリフト日本一の会社へ訪問し、ぜひ注文を!と営業をかけたのだが、まったく数字は上がらなかった。その会社の部長や所長、各営業マンの方々とは、自宅が近かった事などもあって、関係は良かった。
特に古田さんという、3つほど年上の、気の優しい背の高い、おっとりした感じの方は、なかなか仕事がやれなくてごめんねと、色んな工場や大手メーカーなどへ同行営業をかけてくれた。
しかし待てど暮らせど仕事は来ない。うちの会社のビジネスモデルと合わないようだった。



関係は深かったもののどうしても数字が上がらないので、もう自分で動く事にした。
あらゆる伝手を使い、どんどん提案営業をかけていくうちに、数千万円の大型販売物件を数件抱えるようになった。



顧客だった古田さんに、以前に、色んな場所へ同行営業していただいた御礼にと、逆に古田さんから商品を仕入れてあげようと、様々な仕事を振った。
古田さんは一所懸命やってくれた。
メーカーでもある古田さんの会社は、名実共に日本一の会社だったから、決して仕入れも安くはない。

私は自分のお客様に、一流メーカーである古田さんの会社の商品を勧め、多少高くても、私という個人の提案力というスキルに金を払うと言ってくれた。そして、今後も様々な提案と、販売後の業務改善の相談を私が受け付けるという事を条件に、本当に大きな買い物をしてくれた。
私と古田さんの仕事が徐々に成功し始めた。



納品や設置工事の時にも、仕入先となった古田さんは、いつも一生懸命にやってくれた。最初は仕入先と思っていたのに、逆になっちゃったね!と言って、感謝しなきゃね!と言ってくれた古田さんの顔を思い出す。



以前はお客様のだった古田さんの会社へ訪問し、数ヶ月前には、仕事をくれと、散々営業をかけた部長に、逆にこちらが客になった事を少しだけ自慢したかった私に、部長は実に失礼に対応した。
数千万の仕入をしている私に対して、何も注文くれてないのに、客面して失礼な態度をする部長に、古田さんはキレた。
温厚な古田さんが、初めて怒るところを見た。古田さん自身の上司なのに、その上司に向かってブチギレたのだ。自分のサラリーマンとしての保身があったらできないことだ。

「住吉さんは今やうちのお客様じゃないですか!いつまでも客面して、失礼な態度しないで下さい!」

そう言って、上司に向かって怒る古田さんを、私は横目でじっと見てしまった。
自分にできるだろうか。
サラリーマンとして、正しいと思うことを、『正しい!』と確り主張する古田さんに、心から感謝した。



私と古田さんの仕事は、波に乗っていた。
これからもドンドン一緒にやっていこうぜ!と、サポートしてくれた。きっと楽しくなると、そう感じていた。








ある月曜日の早朝。

古田さんの会社の山下所長から電話があった。
まだ8時くらいで、普段ではちょっとありえない時間だった。

「古田が家に帰ってないらしいんだ。」

唐突に言われたものの、古田さんのプライベートにまでは深い関係はなかったし、なぜ、山下所長がそんな事を言うのか分からなかった。

「どういうことですか?」

そう聞く私に詳しい話をしてくれた。



釣りが趣味だった古田さんは、日曜日に友人たちと、山の上流で渓流釣りに出かけたらしかった。
午後になり、自分の車に積んでいった、小型バイクを降ろし、下流の釣り場へ出かけたまま、行方がわからないと言う事だった。自分の車も、山の駐車場に置きっぱなしであると。



話の途中で私は青ざめた。
何かの事故、事件に巻き込まれたのかもしれないと言う話だったのだ。

私の仕事に支障を来すかもしれないと思い、山下所長が連絡をくれたのだった。

実際、古田さんにお願いしてある現場の予定があり、そこには、山下所長が代わりにいってくれるとの事。

気になって仕事にならないまま、昼になった。




昼過ぎ、再度山下所長からの電話が携帯を鳴らす。
古田さんは気の優しい人だったから、ちょっとに逃げ出したくなっちゃったりなんかして、どこかで遊んでるところを発見した!みたいな連絡であれば言いと、そう思いながら電話に出た。






遺体は、山道の中腹の崖下にあり、崖からの落下による死因だろうということだった。
細い山道の急なカーブを曲がり損ねた転落事故。
落ちて暫くは息があったようで、その時間帯に奥様の携帯電話がなったらしい。



奥様との結婚生活はわずかな時間だった。



古田さんには、結婚の事で相談を受けた事があった。
「結婚すべきだろうか・・・・・。」
「プロポーズして、断わられないだろうか。」
あまりにも根本的ではあるけれど、なんだか古田さんらしい悩みだったから、私はこう言ったことを覚えている。

「結婚なんて、してみなきゃわかんない事だらけですよ。しちゃえしちゃえ!ダメだったら別れりゃいいんですよ!」
「あたって砕けろ!フラれた数だけ、男は箔が付くんですよ!」
無責任かもしれないが、半分は昔自分が思ったことだったし、古田さんには、年齢的にもぜひこのチャンスをものにして、プロポーズして幸せになって欲しかった。



あまりの衝撃に私は動けなくなった。
そんなはずはない。
先週末電話で話したばかりだった。
一週間前には一緒に現場調査したばかりだった。
信じられないという気持ちしかなかった。
ありえないとしか思えなかった。


なんだか本当みたいだと、やっと理解し始めたのは、お通夜で眠っている古田さんを見たときだった。
同じ会社でもないし、親族でも、昔からの友人でもない、微妙な立場の私なので、涙とか流したらおかしい気がして、わざとらしい気がして、涙が流れるのを我慢したが、もう、奥様が泣いているところを見たら無理だった。
ドードーと流れる涙。自分の周りでこんな事が起きるなんて!という悔しさと、こんなにいい人がこんな若さで去るなんて!という不条理さに、涙が流れて止まらなかった。







山下所長から、古田さんの訃報を聞いたのは車の中だった。

電話に出る直前に聞いていたのは、スピッツの『楓』という曲だった。
あの曲を聴くと古田さんを思い出す。
一緒に何度も同行営業したこと。
現地調査で寸法どりしながら冗談言い合っていたこと。
私の事で上司に食って掛かった古田さんに感動したこと。



いつもなんとなくスーッと立っていた古田さん。


時々思い出しているよ。あなたのこと。