脳の錯覚

頭の良い人は良くしゃべる。
無口な人は、時々発する一言が貴重に感じられる錯覚をするだけで、実はあまり役に立たない事が多い。
よくしゃべることは良い事であり、頭の良い人は良く気づくし、話が展開し広がるし、人を誘導し引っ張る事が出来る。
人の話をよく聞かないでしゃべるのが『悪い』だけで、人の話が上手に聞けて、なおよくしゃべれることが大切。

仕事でも、部下に対する指導や、戦略について、あるいは細かい戦術についても、具体的に説明したりするには、かなりのおしゃべりじゃないと勤まらないところがある。
そうして自分で話していると、話しながら物事がさらに整理されて来る。
説明しながら自分の脳が整理整頓される感覚だ。
人に話しながら、物事が整理でき、自分で自分の話に納得するのだ。


よくそういう風になる。


これは、人間の脳がそれを「快感」と認識するかららしい。


たとえば私は、営業会議で10人の若く多感で優秀な部下達に、自分のイメージする戦略を具現化するための具体的行動(戦術)について、なるべく細かく具体的に、『何かに例えて』説明する事がある。
女性の口説き方に例えたり、
夫婦喧嘩に例えたり、
親子関係に例えたり、
嫌いな上司との関係に例えたり、
例える事で、より分かりやすく、『納得感』を与える為にやっている作業なのだ。
しかし、この『例え』(たとえ)と言う作業。
そもそもまったく違う事を指しているにもかかわらず、それを聞く側は、妙に納得してしまう。
人間は納得しないと気持ちよく行動しない。
納得すると気持ちよく動けるものだ。
しかし、『例え』は、実はまったく違う事実を話しているに過ぎない。

部下の粗探しばかりして、過去に何人もの部下を辞めるまでに追い込んできたやつがいたとする。
そういうやつは大抵、家庭でも妻や子供を言葉で追い込んでいるものだが、それでも子供の教育が欠点の指摘や粗探しだけでは良くないことくらいは知っているだろうから、部下も子供の教育と同じだと「例え」て指導してやる。時にはしっかり褒めてやったり、可愛がってあげたり。抱きしめてやるような愛情を伝える事も必要なんだ・・・・とか、そんな風に『例えて』指導する事があるだろう。

しかしそもそも、子供や妻と、他人である会社の部下とはまったく違う。
利益至上主義の経済社会で戦争する会社員の教育と、まだ世界を知らない未熟な『子供』の教育を一緒にする事自体がおかしいのだが、人間はこのような『例え話』を聞いて、『納得』してしまえば、脳が一種の快感を得て、気持ちよく行動に移せるようになるのだ。
気持ちよく納得して行動できれば、必然的に良い結果が生まれる。

要はたとえ話が現実の問題に即しているかいないかより、例えた話が納得感があるかないかに、人間の『脳』は左右されているのだ。






わが家族は私と妻と長女の3人とも[docomo]なのだが、昨日、妻と[au]に行き、会社を切り替えた場合のメリットを店員から説明を受けた。
最初妻が、店員から説明を受けていたのだが、妻から声をかけられ、
「ねえ、なんだか得みたいだよ〜!」
と言われ、もう一度私が店員から話を聞いた。
色々とキーワードになっている事柄がばらばらにある為、実に巧妙に納得するかのような話の展開に繋がるのだ。

キャッシュバックがある。

違約金が実質タダになる。

新しい機種に変更が出来る。

など、聞いていると「うんうん」と「yes!yes!」と言わせ続ける説明で、(当然そのように訓練されているのだろうが)妻は最初、納得しかかっていた。



しかし私は、どの機種を、いくらのキャッシュバックで、いくらの違約金を、誰が払い、月々の値引きを、何ヶ月間、合計いくら値引きされ、差し引き、『今』いくらの利益があるのか・・・と、全部具体的に計算してみると、なんと数万円の自己負担があることが分かる。
まあ機種は新しくなるのだろうが、節約主義の妻が、そんな話に乗るわけなかろうに。
妻に、結局どういうことになるか説明すると、
「ああ、ダメね」
と一瞬にして話は終わった。


実はあまり得しない事であっても、脳に与える納得感で、人間は気持ちよくお金を払い、得した気分でその後も過ごす事が出来る。

頭の良い商売人は、この「納得感」という脳の勘違いを匠に利用して商売し儲ける。

まあ社会における『儲け』の現実なんてすべて脳の錯覚だけどね。
実はこの世は、脳の錯覚によって成り立っているのかもしれない。