ことな

思うんだけど、教職員てヤバイんだなあ。

大学出て、世間知らずの23歳が、社会の仕組みも冷たい世間も何もかも知らないまま、突然学校へ就職して、もっと世間知らずの小学生、中学生らに、『先生・先生』と呼ばれて、おまけに生徒の父兄からも『先生・・・先生・・・』と呼ばれて。


そらまあ、勘違いもするわなあ。


私の会社にも23歳の新人が入ってくることもある。
30前後の中途入社もいる。
私も30歳で中途入社した。
私の場合、その後は物凄い出世した天才だが。(うそ)

でも30歳でも結構世間知らずもいるし、まして23歳なんて、お辞儀の仕方から教えなきゃならんくらいに世間知らず。
丁寧語、尊敬語、謙譲語の使い方も知らないし、お客様からの信頼も、得るにはまだ10年早いと言うところだろう。


そんな23歳が、いきなり『先生』になるんだから、教師という職は恐ろしい職である。
まして聖職なのだからこれは深刻だ。


イジメの問題は、教師の【気づき】の問題も大きい。
また、いじめている子供に、
なぜイジメがいけないことなのか、
人をいじめたりしていると、どんな事が起きるのか、
人を傷つけると言う事が、どれだけ罪な事なのか、
人はどのようにして人と接し、どうしたらやさしい心を持てるのか。
そういう話を、情熱を持って、熱く、深く、志を以って説いていかねばならない職業である。


はっきり言って23歳では無理だ。
出来るわけがない。
分からないんだから当たり前だ。
学校の校長や教頭が、若い教師にそれだけの倫理や道徳を教え込めるだろうか。
それも無理だと思う。


教育委員会などと言う組織も、本来の教育のあり方を真剣に思い、学校指導に向かっている委員会や教育長などもはやいないだろう。
自信の保身と、年金や天下り先の確保の為に、仲間内の保護の為、それだけの為に、イジメというよもや殺人行為を必死に隠している。
だから無理だなあ。


そういえば、大津市の教育長。
嘘つきすぎて、口が曲がっている。
学校の不真面目さを指導するどころか、自殺した子供の親を批判しやがった。
マスコミも不思議なほどに攻撃しない。
あんな気の狂った口の曲がった嘘つきな大人を、なぜ教育長などにしているのだろうか。



公務員集団の、打算馴れ合いによるお付き合いによる人事である。



教育長という職は、若い頃から数十年と教師の職を全うし、多くの優秀な子供を育て、教育し、さらに地域社会へ教育現場から大いに貢献し続け、教師としてしっかりと出世し、何校かの校長を務め、学校改革を推し進めたきたような、最高の教師の終着点であって欲しい。
そもそも教職出身じゃない親父がなぜ教育長やってるのかわからん。


23歳の【ことな】(子供のまま大人の体してる大人)みたいな年齢で、いきなり学校の先生は無理だ。教職のシステムを改善する必要がある。
それから、民間の企業で、課長や部長など、ビジネスのマネジメントを行なっている現役のサラリーマンなどから教職の中途を雇用したらいいと思う。そう私みたいな人がいいんじゃない?
(俺はやらないけど)


現実の学校では、23歳でいきなり【先生】になった【ことな】が、そのまま子供ばかりに囲まれた世界で、同じような大人(教師)に囲まれて、父兄からは『先生・先生』と呼ばれ、勘違いしながら歳をとり、必要な洞察力も持たぬまま、キャリアを積んでいく。
これでは、子供の残酷な現実を見抜くことは出来ない。
子供は純粋である。
しかし純粋さは時に悪となる。
純粋と言う事は知らないという事でもあり、ある意味、もっとも危険な人間が純粋君なのだ。
人間は汚れていく事でやさしくなる。
自分自身が痛み傷つきながら、人間は強くなっていく。
強くなると言う事は、純粋さを失っていく事でもある。
だから大人は子供を許せるのだ。
子供は大人をそうそう許さない。
純粋な子供の怒りは危険な恨みになる。



子供の教育とは、子供を純粋に育てると言う事ではない。
教育とは、子供を上手に汚していく事なのだ。
それが経験であり、道徳を知ることなのだ。


同じように、教師という聖職を、より深く理解し実践できるのは、ボロボロになった大人である。
冷たい世間の荒波を知る、思慮深くて、やさしい、それでいて目の怖い大人。そういう人間にこそ、人を教える資格が宿るのではないか。