200mは【金】取れるから!

本当は寝なきゃと思っていたのだけれど、やっぱり北島選手のレースは気になって眠れなかったから、もういっそ、しっかり観よう!と、テレビにクギ付けになった今朝4時。


もう時代も違うし、水泳の世界にもずっと居ないので、北島康介選手とは知り合いではないけれど、私は彼の最初の金メダルのレースを目の当たりにした時以来、やっと水泳のファンになれた。


私の水泳から関わる人生にも、ある物語がある。


それをすべてここでさらけ出す事わけにはいかないが、何度かこのブログ記事で述べて来た事は、恩師との物語。それから、鈴木大地さんのソウルオリンピックの金メダルレースが自分の水泳の総括になった事。それには触れてきたと思う。
自分なりに正直に自分の心に触れてみた。
記事を書きながら、自分の心を掘り起こし、昔を思い浮かべ、飾ることなく書き連ねた。


そうするうちに、自分の中で、水泳が総括できた。
すると突然堰を切ったように、大地さんをはじめ、昔の水泳の仲間との再会が訪れ、息子の水泳部入部とスイミングの選手クラス入部など、どんどん水泳にまた、自分が引き込まれていくのを感じた。


【引き寄せ】だろう。


私のつたない物語の1ページに、北島選手の金メダル2冠のシーンがある。
あのレースを見て、私は自分が出場出来なかったオリンピックという存在への総括が出来た。
それまで素直に観れなかったオリンピック。
私も、そして私の仲間たちが何人も、オリンピックに出場できず、その競泳生活を閉じた。
出場出来た仲間も、私が居た当時の水泳界は、メダルどころか、決勝レースに出場できる選手自体がほとんどいなかった時代だった。


その後、北京の北島選手の2連覇は、奇跡のように感じながらも、完全に水泳のファンになっている自分が居るほどであった。
それまではどうしても、選手を全員、コーチの目線で見てしまっていた。
オリンピックの予選の泳ぎをテレビで食い入るように見ると、選手のコンディションが分かった。
そして妻に、決勝レースの選手の予測を述べたりしたものだった。



しかし、北京の北島選手の2連覇は、完全に私のコーチの目線も消し去った。
私はひとりの『ファン』になった。



だから北島選手には勝手に感謝しているのだ。
自分の中の水泳の思い出を、底の底からすべて綺麗に洗濯してもらえたようだった。
それほどの影響が、テレビで見ているわたしにもあったのだ。
直接の知り合いではないが、感じるのは私の自由。



北島選手は、ロンドン出発前に、息子あてにサインを書いてくれた。

『強太郎君へ 北島康介

彼のトレーナーである小沢タイソンが頼んでくれたのだ。

我が家にはソウルオリンピック金メダリストの『鈴木大地』さんの、【強太郎しっかり泳げ!】のサインと、
我が家に遊びに来てくれたシドニーオリンピック銅メダリストの中尾美樹さんのサインと、
そして日本水泳界の【王】、北島康介選手のサインがある。

我が家でピアノを弾く美樹ちゃん。

10年ぶりに会い、初めて酒を酌み交わしたチームメイトおーちゃんこと、「不破央」さん。
いつも飲んでるけど、央と三人で飲んだのは初めて。ボブこと、長畑弘伸さん。




昔のトップスイマー。

まだ、日本が、世界でまったく勝てなかった時代の往年の名選手たち。
この中からついに鈴木大地が金メダルを取るのだ。
そしてついに日本水泳界が大きく変り始める。

【日本人でも勝てるのだ】
【俺も勝ってやる】
【わたしだって出来る】

そして今の水泳界がある。





100mでは敗れたけど、まだ200mもある。
今回のコンディションは、私でも予選のレースをみてすぐに良くない事が分かった。
過去m2連覇しているにもかかわらずに挑んだオリンピック。
あそこに立つ為に、彼がしてきた努力は、想像を絶する。
どれだけの青春の時間を犠牲にし、何を捨ててきたのだろう。
それらと引き換えに掴んだあれだけの栄光を持っているのに、この4回目のオリンピックに挑んだのだ。



お疲れさま。
あと200とメドレーリレーを、精一杯やってほしい。
それから、みんなあまり言わないだろうけど、一言。
北島選手に敗れてロンドンに行けなかった日本に居て、テレビを見ている若い選手たちの為にも・・・・・・、


もう一度、気合を入れてがんばれ!北島!


負けたっていいから、全然そんなの何も言う気なんかねえから、力出し切ってがんばれ!

絶対に金メダル取れる力あるから!

狙え〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!!!!!!

200mの金メダル〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!!!!!!!!


はあ〜はあ〜はあ〜。


以上