タイムスリップ



その日は朝から小雨のぱらつく日だった。


いつものように会社に出勤し、いつものようにハードな仕事をこなしていた。


生産側の責任者と、手配調達配車業務を兼任し、ひっきりない電話と営業からのオーダーを捌き、目が廻るような時間を過ごしていた。
【臭い物に蓋を】と言う言葉があるが、人がやりたがらない仕事を率先して請けた事で、私はそこで起き生み出る、すべての会社の毒が集中する・・・という、試練の毎日を送る日々だった。




小雨の降る日。
突然入った連絡。
危篤。
奥さまが、かろうじて私の事を気にかける、意識の消えかかった米さんにかわって、電話をくれた。
会社の上司は、血のつながった身内でもない私の師の、危篤に立ち会う事を許してくれなかった。
私が居なくなることで、自分が忙しくなるのが嫌だったのだ。
仕方なく、じっと我慢し、辛抱して、瑣末な人たちの相手をし、夜まで仕事した。

やっと終わって、家族全員を連れて、会社辞めるつもりで車を飛ばして、スピード違反で群馬の桐生へ向かう高速道路の途中、運転中の私に訃報が入った。


私は教え子の中で優一、米さんの旅立ちに間に合わなかった。


あれだけ一緒にいた私が、最後だけは一緒にいられなかった。


会社の上司を恨む気持ちもあったが、米さんは、そういうつまらない感情が大嫌いだったので、私はその馬鹿な上司を許した。







わが師、米川先生の病を知ったのは、さかのぼる事1年ほど前だった。


米さんの元を去ってからも、時々私に電話をくれ、低く太く、そして暖かい独特の声で、
『おう!元気しとるか?』
と、私を気遣ってくれたものだった。
ある日の電話で米さんは私に重い告白をした。
『俺なあ〜、ガンだって言われたんや〜。まいったなあ〜』
見かけは誰よりも強そうで、少々のことには、まったく動じないという、圧倒的な存在感のある米さんだが、実はとても繊細で、小心者な所があった米さんを、私はすでにもう十分知っていたから、その米さんの言葉を聞いたとき、きっと米さんは物凄く動揺したんだろうと思い、胸がギュ〜ッと引きちぎられるよな気持ちになった。
けれど、同じガンでも、外科手術によって摘出して、その後、人生を全うしている人も多いから、どう見ても健康そうにしか見えない、そして、何しろあの、【米川先生】が、病に倒れるだなんて事、でもやっぱり私にはどこか信じられず、
『米さん、だいじょうぶっすよ、さっさと手術して、取っちまいましょうよ!』
そんな風に答えた気がする。



過去にも書いたことがある内容だが、私はいつも時々思い出す事がある。
何か、自分で自分に納得できないような気持ちになったときだとか、誰もいなくなった私の背中を押す人が、昔は米さんだったのだろうと、そんな風に米さんを思い出す時、いつも思い出す光景。
それは、愛知県の豊橋総合病院の手術室への入口での事だ。



色んな検査をして、見つかったガンが直腸だけでなく、実は胃や肝臓にも転移していることを知った米さん。
予定時間でも9時間以上かかると言われた手術に挑む事になり、あれで、物凄い不安だったのだと思う。
仕事があって手術の最初しか米さんの顔を見られなかったが、手術室に入っていく米さんを、私は見送る事が出来た。


最初で最後に、一度だけ見た、米さんの不安そうな顔。
私の目を見つめ、じっと見て、そして、私の手を握り、小さな声で、
(けんいち、たのむぞ)
そう言って、点滴をしていない左手で、私の手をギュッと握った。
私も両手で握り返し、
『何いってんすか。だいじょうぶっすよ』
そう答え、もう、涙を堪えすぎて、口の中に涙が溜まってくると思うほど、堪えに堪え、米さんを見つめ返した。



看護婦さんが米さんを手術室に引っ張る。
米さんとの目線が外れる。
奥さまの規子さんを見る米さんに、規子さんが『がんばってね!』と励ます。
米さんが答える間もなく、米さんを乗せたキャスターベッドが手術室に消えていく。
その目だけが、規子さんと繋がっていた。



米さんの姿が手術室に消えたとき、弟の正則さんは、兄を思う気持ち一心で、顔をくしゃくしゃにして涙を流していた。
私は、始めて見た米さんの少年のようにおびえる眼差しが、心に突き刺さり、そしてひどい頭痛のようにガンガンと頭の中を打ちつけられて、雨のように流れ落ち降る滝のような涙を拭い、これから米さんに起きる、苦難の時間を想像していた。
きっと、米さんのことだから、直前に、【もう、どうにでもなれ〜!】って思って、覚悟を決めたのだろうけど、私たち見送った3人は、みんな本当の米さんを知っている3人だったから、かわいそうでたまらなかった。









昨日、夜中、2時くらいだったろうか。
あの時の手術室に向かう米さんとのシーンを夢に見て、冷や汗をかいて目が覚めた。
すべてがあの時のままの、とてもリアルな夢だった。

豊橋総合病院のあの消毒の匂いと、モルタルの上に張られたビニールシートの冷たい床と、乾いた音を立ててセンサーで動く、手術室へ続く大きな扉。
2人の看護婦さんと、米さんと、奥さまの規子さんと正則さんと、そして私だけが存在していたあのエレベーター前の場所。

夢から覚め、まだ瞼の裏側に綺麗に写り続けているあの光景。
これから手術室に入るというその直前の、あの、米さんの瞳。
そして、幼い頃、何より恐れた、米川先生のあの声。


『おう!けんいち!なんばしょるとか!』


あの時の瞳と、大昔の怖いあの声との、どうしても結びつかないギャップが、目が覚めた数分間、頭の中で響き、目の奥で写っては消え、それを繰り返していた。



私は潜在的に何かに不満を感じているのかもしれない。
自分の中の何かに、決定的に不満を感じているのかもしれない。
だから、米さんを心の底から呼び出したのだろうか。



いつも思い出す光景であり、いつも思い出す米さんの眼差しだが、今日の夢は、まるであの時にタイムスリップして、現在の私が、現在の立場であの時に立ち、これから何が起きるか、この後の10年、私たちがどんな人生になっていくのか、それをすべて知っている私の状態で、タイムスリップした夢だった。


それでも・・・・・、


あの米さんの眼差しは、冷静に見れなかった。







こんな日の一日は、
頭から米川先生が離れない。
一体どうして死んでしまったのかと
悔やまれて仕方がない。
やっぱり悔しい。
生きていて欲しかった。
本当に。
きっと意味があるのだろうけど、
私にはまだ、
どうしても納得がいかない。
こんなに早く死ぬべき人じゃなかったはずだ。





生きていて欲しかった。





雨の日曜日に傘差して、濡れて散歩した。
声が聞こえないかと思って。
米さんが空から、話しかけてこないかと。





全然来なかったけど。





米さんが見守っているのは私じゃない。
とても綺麗な奥さまがいて、とても可愛い3人の子供たちがいる。
3人ともお嬢さん。
きっと家族を見守って、そばにいると思う。



でも遠くでちゃんと私の事も見ていると思う。



何故なら、今でも時々、空耳か、天の声か、私に話しかけてくるときがあるから。




『おう! けんいち〜! なんばしょっとか〜?』