不必要



色んな人間がいる。





 
最近の私はあまり上司に恵まれていない。

この人は、私や私の部下にはとても強い。

しかし自分のセクションの部下にはあまり強く出れないらしい。

大阪の出身ではない彼は、大阪の出身者の部下たちの、遠慮のない言い様に、なんやかんやと弱いようだ。

しかし私の部署は、私の日頃の指導により、人に強く当たることをしない連中ばかりで、しかも若い社員ばかりなので、私の上司はそれをいい事に、自分の上り詰めたテンションを最大限に振りかざし、ギャンギャンと吠える。
直接事業には関係ない上司なのに。


シラケきっている我々を尻目に、止まらない。

反応が悪いとさらにキレる。

この人は昔からそうだ。

だから言葉が常に死んでいる。

部下達に一度も言葉が響いた事がない。

ギャアギャア言い過ぎて、

細かく突付きすぎて、

話が長くてくど過ぎて、

結局誰の気持ちをも動かす事が出来ない。





この人は上席に対しても何も伝わらない。

役員やオーナーを前にした会議では、緊張しすぎて話がパニックし、恐怖におびえて手が振るえ、膝がガタガタ揺れている。
会議中に手に持つ資料がカシャカシャと震え、字を読めない。

そこまで怖くてなぜその席に固執するのか、私には理解できない。
正直に言って外れればいいのにと思う。
一度得た役を外れるのは嫌だろうが、現実器がない。

しかし弱い者にたいしては、あまりにも重箱の隅を突付き過ぎるので、会社では若い社員がいっぱい辞めていった。
しかし原因が自分にあったことを知らないので性質が悪い。
ギリギリやめる前に、彼の方が転勤したことで、辞めるのを免れた若い社員も大勢居て、未だに彼との接触を嫌がっている。

言いたくはないがその性格は家族らにも深く影響している。内容はあまりにも衝撃的なのでここでも言えない。
会社の部下だけでないと言うところが、この本質を表している。

彼の嫌われ方は深く、それは実は有名な話であり、本人だけが知らないことである。




弱い立場の者や、口が下手で黙る者に強い人間で、人に思いやる事の出来るようなやさしい人間には特に強く、よくしゃべるその口の煩悩をただただだらしなく開放している51歳。
常に言葉が活きていないので、誰の尊敬も集めない。
誰からも頼られていないので、部下達はあまり報告もしなくなる。
すると報告がないことを怒り、キャンキャン吠える。


もちろん私も、何も頼っていない。
何もして欲しくないし、何も望んでいない。
彼は必要ないし、入ればかえってややこしくなる事ばかりである。





理想は、人を嫌わない事である。
だから私は彼を嫌いにはならない。
だが好きではない。
関わる事で侵害される私の領域があり、これが深刻であるからこそ、私は自己防衛の本能で彼を構える。
きっと彼に相対する部下達は全員、同じような気持ちや本能を、彼に抱いているはずだ。

しかしサラリーマンの世界では、こういう人間性は表には見えない。
日本人は、公の場で人を中傷する事が少ない為、彼の上席が、彼の資質の深い問題点など、知ることが出来ないからだ。

つまり、人格はわからなくても、

提出物や、

提出物の期限や、

会社指示を部下に厳格にやらせることや、

とにかく会社組織が機能的に、一見廻っているように見える管理が、そういう管理が彼は得意なのだ。

だから大きな問題として捕らわれない。

けれど責任者にはさせられないと上席や役員は感じているらしく、今までどこまで登っても次席である。
2番手なら、どれだけ部下を追い詰めてでも、その役割を果たすのだ。
そのかわり、本質的な部下の成長や、社員達の情意は育っていない。



私の事業の責任者は私だが、そこに割り込み、私の業績も、少し自分が絡んでいたかのような話し振りを突然始めたり、【いっちょかみ】してくるのだが、そういう時に私は、【すべてあなたのおかげです】と、全部彼に上げちゃうので、彼は最高にうれしそうにする。
絶頂感を迎えている顔で、口元が緩んで緩んで締まらない。
彼の考える仕事の手柄は【評価】なのであろうが、私はそう思っていないので、彼の望むようにしてあげる。
私の考える仕事の手柄は、ただ【次の仕事】であり、【評価】ではない。
さらに言えば自分で考え求める評価は、本来評価とは言えない。
評価は自分がするものではなく、他人がするものだからである。



ここでは書けない様な事で、私は彼を助けてきた事も多い。

しかし彼はそれを使わない。

それはそれ。

これはこれ。

と、頼ってきた彼の方から割り切って行き、私を驚かせる。

もちろん私も何も見返りなど求めていないので無反応となる。

だからそのまま何もなかったかのように常に事は収まっている。

それを彼は自身の勝手にこう表現する。

【渡世の義理】

よくわかるが、彼の言うべき言葉ではない。

むしろ実践しているのは彼ではなく、私を含めた彼のまわりであろう。





世の中にはこのような51歳もいる。




反面教師という言葉があるが、あまりにも凄くて反面教師でも不必要だ。