杖
幼い頃の私はどんな夢があったのだろう・・・・・。
水泳選手として、日本一になりたいって思って、よくがんばったとは思うけど、今思えば、オリンピックにも出られなかったし、昨今の水泳界を見ていると、当時の日本のレベルでは、個人がそこまで夢見ていても、絶対に叶わなかったなあと現実がわかる。
水泳では明確な夢などはなかった。
ただ人に負けたくないと思っていただけだった。
だから日本一になった時、なんだかもうやりつくしたような気持ちになってしまったのを覚えている。ものすごい低レベルの生意気な考えだった事は今ではわかるが。
しかしもう最近では自分の夢など見なくなった。
だから幼い頃の夢なんか、さっぱりわからなくなった。
特に、サラリーマン生活を始めてから、夢を語ったり、夢を思い描いたり、そういうこととは完全に無縁になったから、余計に完全麻痺しているのだと思う。
サラリーマンの世界は、個人の個性や夢を、いかに見させないか。
それに社員教育を終始する。それが一般的な文化だ。
サラリーマン=組織人が、いちいち自分の個性を主張して、夢語っていたら、仕事にならないし、組織の統率が取れない。
誰も簡単には上司の言う事なんか聞かなくなる。
ぎりぎり暮らしていける、粗末なサラリーで、いかに効率よく拘束していかに安く使えるか。
それが企業の繁栄を担う発想だ。
うちの会社はまだいい。創業者が一味ちがうから。
社会貢献と社員の幸せに拘る経営者のおかげで、業界一処遇が厚い。
しかし幼い頃に描いていた夢はあった。
何かを造る仕事がしたかった覚えがある。
子供の頃の私は、ブロックのオモチャが大好きで、いつも色んなものを作った。
飛行機でも、スポーツカーでも、戦闘機でも・・・・。
様々な形の、様々なデザインの色んな物を作り、出来上がったものを見ていると、言いようのない達成感と、満足感に浸ったものだった。
大学を出て、米川先生と一緒に仕事をしている時、競泳選手の育成を目的とした、その為だけの【虎の穴】を作って、オリンピックで金メダルを取る選手を、大量に育てようという夢を、米川先生と追いかけた。
そのスタートラインにもちゃんと立てないような状態のまま、米川先生はあっちに逝ってしまった。
先生が逝ってしまったその時に思ったことは、『もうだめかもしれないな』という事だった。
空を見ながら、(どうして先生はこんなに早く逝ったんだろう)と、(ねえ先生、どうして?)と何度も問いかけたことを覚えている。
けれど先生は何も答えてくれなかった。
米川先生は、結構そんなところもあったから、また前見て歩こうと決めた。
それしかないし。
あれからもう13年が経ったんだなあ。
米川先生と見た夢を捨て、中学以来、もうずっと住んでいなかった実家に戻った。少し落ち着いて今後のことを考えたほうがいいと、両親に促がされたからだった。
実家は家を建て替えたばかりで、純和風の高級旅館みたいな造りで、ハウスメーカーの作った家ではなく、本物の日本の大工が作った創り。
その大工さんの作業場に、少し材木をもらいに行った時、木の香りと、正確な寸法で組み合わせる木で出来ている様々な家具を見て、私は、(そうそう!!こういう仕事したいんだよ俺は!)と、そんな風に思った。
父方の祖父が北海道の大工さんだった事が、お前がそう思う理由かもしれないな。と父が言ったが、同時にこういわれた。
『しかしお前を大学にまで行かせたのは、大工にする為じゃない』
『お父さんの家は物凄い貧乏だった。北海道では大工さんに仕事なんかなかったから。』
と、頼むから大工さんなんかにならないでくれと、そう言われた。
そして強い夢や目標を失ったばかりの私は、またそこで弱い、見始めた夢を潰した。
(なら一体どうしろってんだ・・・)
打ちひしがれている日々で妻に再会した。
そしてサラリーマンを選択した。もう30歳だった。この国の第2の選択の限界は、30歳くらいだろうな。
もう40歳越えていたら、すっごい優秀なビジネスマンじゃない限り、再就職なんか不可能だ。
そして振り返って考えてみたら、もう夢なんかとうに消えていた。
ネットワークビジネスで大成功している友人と、その大金持ちの仲間たちに言われた事がある。
【自分の人生は自分の物だし、自分が幸せになることが一番大事だし、それが人を幸せにすることに繋がる】
【お金だけじゃないが、お金がなければ幸せを謳歌は出来ない】
【自分の人生の主役は、自分自身だ】
全部そのとおりだと思うけれど、そういう人たちはそのほとんどの人が離婚したり独身だったりしている。
でもお金があるから子供とは仲良かったり、スーパーカーに乗っているし、人も集まる。同じような成功を夢見て、どんどん新しい人と出会っている。
友人が増え続けているらしい。
自分の人生が自分のもの・・・・・・・
その言葉が、彼らと私の大きな隔たりを作る倫理観の違いなのかもしれないが、彼らは自分のしたいように生きている。
私は自分のしたい生き方かといわれれば、どうもなんかそうは言えない気もする。
でも私は、妻が好きで、妻の望む生き方を選んだのだ。
妻もお金は好きだろうけど、基本的に物を買わない。
高額なものが好きじゃないのだ。
けれどすげえ綺麗だ。
美人は金じゃないんだなあ。
愛だな愛。愛と営みだな。(ん?)
自分のやりたい事、生き方、そのすべてが自分主役では出来ないけれど、久しぶりに少しづつ、簡単なところから好きだった物づくりを始めてみる。
その先駆けに、山道の散歩要に、【杖】を作り始めた。
山道を歩きながら、林の中で、折れて倒れている木々の枝を拝借し、皮を剥ぎ、やすりをかけて、乾燥させて、ニスやラッカーで仕上げてみたい。
だんだん大変なことやってみよう。
私の趣味は、【妻】と【子供】だけだったから、少しこんな趣味を持ってみるか・・・・・。
これなら経費もかからんし。