有朋自遠方来 不亦楽

3年半前、12年間暮らした浜松から奈良へ引越しした。

私の転勤に伴っての家族の大移動だった。

12年前は、子供も長女と長男だけで、長男は産まれたばかりだった。

私自身も中途入社し社員として、まったく将来が見えない不安の会社生活を送り始めた時だった。当時の先輩社員は、私を目の敵のように扱い、物凄くいじめられたものだった。


12年間の浜松での暮らしの中で、長女が小学生に入学し、長男が幼稚園に入り、そのうち、次女が産まれ3人の子供になった。


四人目の3女が出来た時は、正直当時のサラリーで、子供を食べさせていけるかどうかと、不安にもなった。
しかし3人兄弟はよく見るが、4人兄弟っていうのはなかなか見ないし、日本は少子高齢化が進んでいるし、俺達が率先して子供増やして、国の将来を考えようぞと、チャレンジの道を選んだ。

4人目が産まれた当時は、もうまるで孫みたいな感じになって、ベタベタに甘やかせた。顔立ちが妻と私より、うちの弟の系統のようにも思え、それがまた夫婦の感情にやさしさを呼び込み、泣けば抱っこし、それまで子供にはあまり食べさせなかったアイスやお菓子なども、欲しがれば平気で与えた。

5人目が産まれた後、4人目に対する扱いは激変。ベタベタにかわいがっていた状態から、急に妹を持つ立場になった3女に、躾が厳しくなった。

今度ベタベタにかわいがるのは5人目の4女となった。

4女は今でも親からも長女、長男からも、次女、3女からも、常にかわいがられ、愛情を注がれて、一番子供っぽい声で笑う子供。





色んなことがあった浜松での12年間だったが、端的にいえば、4人家族が7人家族になったことが一番の大きな変化だろう。

5人の子供たちが過ごした時間で、それぞれに出来た友達の数たるや、それは凄まじい人数だった。





私の転勤で、半年間の単身赴任。このまま私が1人で単身赴任していれば、子供たちは友達と別れることなく、浜松で暮らしていける。
私と妻は迷った。

妻は私の単身赴任中、週末は必ず車で、浜松から大阪に来てくれた。

妻が大好きな私は、1週間会えないことが、とても辛かった。

せっかく毎日一緒に居られると思い結婚できたのに、どうして離れて暮らさなければならないのか。

仕事とはいえ世の不条理に、私の心は沈んでいたから、それを察してくれた妻は、毎週毎週、金曜日の夜中に浜松を出て、5時間以上かけて運転し、大阪に会いに来てくれた。

子供たちを長女と長男に任せ、金曜の夜中から日曜の午後まで、新婚のように過ごした。
なんだか逆に、二人きりになる時間が増えた。



1ヶ月ぶりに浜松に帰ると、家がとても久しぶりに思え、子供が微妙に大きくなっている姿に改めて驚き感動したものだった。






妻は、子供達と話し合いをした。

お父さんを追いかけて、大阪へ引越しして、家族みんなで一緒に暮らすか・・・・。

お父さんとは別に住む事にして、私たちはこのまま浜松で暮らしていくか・・・・。

子供たちは、友達とはなれることがとにかく嫌だった。

みんなが泣いて嫌がった。

その話になるたびに、子供全員が泣く話を聞いて、私は単身でいいやと思った。




しかし子供たちが出した結論は、【お父さんと暮らす】という選択だった。
別居するなら何の為の家族なのか、それじゃ意味がないと、子供たちなりに、流す涙とそれぞれ自身が戦って出した結論だったのではないだろうか。





浜松での引越しの当日。

我が家族は本日が浜松の最後という日。

荷物が運び出され、空っぽになった家のその庭に、子供たちの友達が大勢集まっていた。




トラックへの荷物の積み込みが終わり、家からは何もかもがなくなって、あとは車が新居のある奈良へ、家族を運ぶだけという状態。

子供たちはもうさんざん泣いてきたから、最後はにこやかに友達とお別れしている。

100人近い友達の姿に私は、お天道様に感謝した。

こんなに大勢の友に囲まれていた我が子たち。

新たな地でまた、このように友達が出来るだろうか・・・・・。





そして走り出す車。

私が運転するその車に、子供たちと友達が、車の窓から手を握り合い、なかなか離れ切れない。

100m進んでも、まだその手が離れない。我が子5人の子供の友達が、数十人、入れ替わり立ち代わり、手を握りあって別れを惜しむ。

少し大きな道路に差し掛かろうとする道のりで、私は断腸の思いで、車のアクセルをゆっくり踏んだ。

徐々にスピードを上げる車から、大勢の友達がだんだん引き離されていく。

ひとり、またひとりと、車から離れていく。

それでもまだ諦めず、走って追いかけてくる。

バックミラーに移る大勢の友達の走る姿。

全員が泣きながら、車を追いかけてくる。

小さな男の子、大きな女の子、そして中学生の集団が必死に走る。

我が家の子供たちは車の中や窓から手を振る。

声にならない大きな声で叫ぶ。

『ばいば〜い!』『ばいば〜〜〜〜〜い!』

私の車を追いかけ、大勢の子供達が走る。

そしてそれを振り切って、私はグンとスピードを上げた。




みるみる小さくなる友達の方に向かって、どんどん声が大きくなる我が子たち。



『ばいば〜〜〜〜い!』『ばいば〜〜〜〜〜い!!!』



涙で顔をグチャグチャにする子供たち。

それを見て、涙が止まらない私たち夫婦。

7人全員で泣きながら走る高速道路。

誰も一言も話さない車内で、車は関西への旅に出た。

新しい家に住む喜びなど何もないまま、疲れきって泣きながら眠ったあの日。

そうしてあれから3年以上が経った。




3年間の間には、卒業があり入学があり、競泳への道が生まれ、子供たちは成長した。






そして昨日。

長男の小学校時代の同級生が、揃って中学に進学し、修学旅行で奈良県東大寺に来ることを聞いた妻が、長女と長男を連れて、東大寺へ。

長女は懐かしき担任の先生に。

長男は浜松で泣いて別れた友達に。

それぞれ久しぶりに会ってきたとのこと。

その写真の長男。【別れる事】、【別れを乗り切ること】を経験したからこその、満面の笑顔は、後光が射すかのように輝いていた。





綺麗な笑顔を見せられる人は

そのずっと前に幾多の悲しみを乗り越えて

乗り越え乗り越え前を向き

後ろを見ずに歩んだから





【朋有り、遠方より来たる。亦た楽しからずや】