歴史裁判の被告

先の政権を持っていた政党が民主党だったことが信じられないほど、この政党の現在の迷走ぶりは凄まじい。

菅直人は、党の推薦候補から落とされた大河原雅子を応援演説し、民主党公認の、鈴木寛と対抗。
菅は大河原氏を支援し、この選挙区では、もと民主党公認同士の分裂選挙になった。

こんな事をすれば、票の分裂を招く。

当然結果として、両者ともに落選。

モメモメの民主党の印象は、さらに色濃くなった。

この政党の代表と幹事長がメソメソ泣く海江田さんと、若い女芸能アナウンサー【山本モナ】と、六本木の歩道でベラカンして写真撮られ、元ジャイアンツの二岡と兄弟になった【細野豪志】というのも微妙ではある。

しかし一方で、こと菅直人にはその処分が厳しい。
それはもっともだが、細野は自分にも厳しくしてほしい。

結局、菅直人に離党勧告するとの事。
菅が拒否すれば、除名処分かもしれない。

しかしこの政党が崩壊していないことが不思議だ。

売国奴鳩山由紀夫。元首相でありながら、尖閣諸島について、

【中国側からみれば、盗んだと思われても仕方ない】

などと発言。

海江田代表は、鳩山の除籍を検討するらしいが、そもそも鳩山はすでに離党している。
それを離党前にさかのぼって処分をするというが、民主党は党として、鳩山売国奴を、しゃあしゃあと支那に向かわせたこと自体に、大きな問題があるのではないだろうか。

支那のような謀略国家に招待され、閣下とか言われてその気になっている売国奴は、その権力や地位を、徹底的に剥奪する必要がある。
やつは共産圏の国家であれば【死刑】だろう。




しかし、民主党政権時代に我が国家に怒った災厄と、日本の国益損失は、私たちが感じるよりもはるかに大きいのではないだろうか。

何もせず、何も出来なかった菅直人は、【原発ゼロ】を宣言し、再生可能な自然エネルギーを−と言い、福島の惨劇を繰り返すことのない国家建設を掲げたものの、一瞬で政権が倒れ、新たな権力の自民党政府は、電力会社の損害賠償による敬遠破綻を恐れ、原発の推進を継続するに踏み切った。
電力会社が破綻すれば、国は原発被災による賠償責任において、国民や電力会社関係者、原子力村のダニらから、国の責任を追及される事になる。もちろん理論的には、国民も、国の原発推進の歴史について、政府の責任、いわば国の責任を追及する事が出来るし、追求したくもなる。

しかしいずれにしてもその責任を国が負う場合、賠償は税金という事になるわけだ。
そして、電力会社を民間に売り渡したとしても、買い取る会社の諸条件で、国の賠償責任を移管した上での買取となることは間違いない。

電力会社を守る為には、結局原発ビジネスを継続し、さらに電気料金の値上げを断行する。それが彼らの生きる道であり、政治家、政権、国の権力者の生きる道という事になるのだ。

表向きは進化しているように見える日本は、実は江戸時代と構造的に何も変っていない。

国民を豊かにするように見せかけながら、上手いこと言いながら必死に働かせ、年貢を納めさせ、国の財政が悪化すれば、国民が死なない程度に年貢税率を引き上げる。


町の庄屋とつるんで金を儲け、権力者はどんどん超えていく。












菅直人は【高速増殖原型炉「もんじゅ」】近くで、【脱原発】を高らかと訴え、演説したらしいが、報道陣以外に聴衆はいなかったらしい。

福島の人々は、菅が福島を再び訪れる事を望んでいなかった。

食品の含まれる線量の基準を放射性廃棄物と同じ線量に引き上げた政府民主党と、それを是正しない自民党も、結局は国民や被災者に対する真摯な誠意や意識がまったくないということもわかる。

















復興予算もあれだけの金を集めながら早い対応で使うことが出来ず、津波による被災地に山積みのなっているガレキの山には草や木が生え、遠目から見るとまるで【山】に見えるようになっているところもあるというのに、未だにガレキが撤去できないでいる。

日本にガレキの受け入れ先の市町村都道府県がないからである。

【絆】。

日本人が震災直後から言い続けてきたこの言葉が、心の底から嘘だった事がわかる。

放射線汚染物質の含まれるガレキを、被災地以外の国民は受け入れを反対してきたのだから。

痛みを分かち合うどころか、いいこと言っていても、自分はリスクは負いたくないと、そういうことなのだ。



一方、菅も一部は被害者な一面もあるのかもしれない。

当時、原子炉への海水注入を、福島の吉田所長に止めるように指示したのは、東京電力の役員幹部達である。
理由は簡単で、原発廃炉にしなくて良い方法を、ギリギリまで探りたかったからだ。

最初の水素爆発と、2回目の核爆発が起きて、2度の内容の違う爆発が起きて初めて、海水注入、致し方なし・・・と受け入れたのが東京電力の年収数億円の幹部達である。
しかし吉田所長は、その東電幹部の指示を無視し、実際は海水注入を事故直後から継続していた。

それでも水素水蒸気爆発は起きたし、核爆発も起きたのだ。

それを東電は、あたかも当時の菅政権政府が、海水注入を止めるように指示したかのようにプロパガンダしている。
そこに安倍首相(当時は野党)が目を付け、菅批判を繰り返し、当時【海水注入を止めたのは菅総理。即刻辞任しろ】と、メルマガで菅の辞任を迫ったのだ。



政治権力闘争はいつ何時でも継続しているのだ。



政治に【美的意識】の幻想を求めてはいけない。
政治家に【道徳】を求めるのもナンセンスである。



いわば、正しい社会など存在しないという事だ。
存在できないのだ。

人間による政治という方法では、【正義】など実現できないのだろう。

正義という名の下に交わされる政治家を筆頭にした国民、人類の議論は、じつは【正義】ではなく、【正当性の主張】でしかない。

正当性の主張=イコール=正義という考え方は、アメリカのような侵略の歴史によって建国された国の言う、いわば【ジャスティス】の意味合いが濃いものであり、日本のように、【八百万の神】が国を治め、日本の建国の歴史が、天皇の神話によって成り立ってきた国の【正義】とはかみ合わない。

日本人の描く【正義】は【ジャスティス】ではなない。

大陸から伝えられた漢字を日本人が、日本文化に合った形で英知を使い、その独特な解釈と使い方によって表されてきた【正義】という文字に、その真意が込められている。

【正】【義】


一(自分の剣を前に置き)

止(その剣の前に止まって武器を捨てた状態で)

我(私の持ち物である)

羊(羊をあなたに差し上げます)