おふくろの味

私が実家で両親と共に暮らしたのは中学2年の12月までだった。

だから【お袋の味】の記憶はほとんど子供の頃にしかないと言っても過言ではない。

昔はみんなそうだったのかもしれないが、私の記憶にあるお袋の味はいろいろあった。

つみれ汁が懐かしい。

味噌汁の具も、玉ねぎだったりナスだったり、季節によって色んな食材を使っていて、中には今思えばあれはなんだったのだろうという具材もあり、それがまたなんとも言えない美味さだったことを覚えている。
あれはなんだったのかなあ。
ユリネかなんかのイモの種類か、スーパーでもらしきものを見たことがない。

昆布みたいな種類の海藻を使って、細かく叩いてベトベトになった物に、ネギや醤油をかけて食べたものや、地域的にシラスが生で食べれるところであり、お酢に生シラスを漬け、少し醤油を垂らして食べるのは絶品だった。

私の子供の頃の焼肉は、今のような鉄板ではなく、今で言えばジンギスカンに使用する隙間の開いた鉄板で、山型になっていて、肉は完全にラムだった。

親父が北海道出身だったこともあってか、幼い頃の我が家の焼肉は、完璧に羊肉で、一緒に玉ねぎやキャベツなどを焼いて食べていた。
なにかの機会に初めて牛肉を使ったとき、ラム肉のような匂いもなく、脂っこくて薄い肉に嫌気が差し、いつものがいいと駄々をこねたことを覚えている。

味噌汁に入れる豆腐は、近所の豆腐屋さんで買っていた。
今よりももっともっと豆腐臭くて、まさに、【豆腐!!】という感じの味と香りがしていた。

魚も良く出たが、味付けがもっと濃い味だったと思う。

ハンバーグなどの肉料理もよく出たが、もっともっと肉肉していて、ケチャップをベースにしたソースをお袋が作り、その味がまた絶妙で美味かった。

お袋の作るキャベツ炒めは、ただキャベツしかないけれど、塩コショウと醤油味でしかなかった割に、キャベツがべチャッとせず、パリパリ感があって味があって美味かった。
何しろお袋の実家が米商だったから、お米が美味しかった。

鍋はいつも、基本的に水炊きだったのだが、鶏肉は丸ごと一羽をぶつ切りにしていたので、今よりもはるかに味がスープに染み出ていた。
肉の歯ごたえも、昔の鶏肉は良かった気がする。
鍋なのにスープが味付けしてあって、早い段階からうどんを入れ、一緒に煮込むと味がしみこんで美味しかった。




今、我が家の食卓は、あの頃お袋が作ったようなおかずは存在しない。

住んでる場所から言っても、実家周辺で売っている食材もないし、味付けが妻とおふくろでは、根本的に違うようで、まったく違う食べ物が食卓に出る。

ハンバーグは焼くというより煮込んであり、味噌汁はほぼスーパーの豆腐。



妻は味見をしないで料理を感覚で作り、自分はあまり食べない。
太らないように気を使っているらしいが、自分で作ると食欲が湧かないと、昔言っていた。

仕事帰りに、『今日のおかずは何?』と聞くと、【酢豚もどき】とか、【八宝菜もどき】とか、【もどき】と言う言葉を良く使う。
たぶん理由は、レシピや本などを一切見ないで、自分の感覚で作るからだろう。
おまけに味見をしないから、【もどき】と言うのではないかと思う。

『うまっ!!!』

と、思わず声が出るような料理はあまりないが、7人家族で5人の子供がいて、最近では全員が一緒に食事を摂れるタイミングもままならぬ中、子供の習い事の送り迎えを5人繰り返し、宿題見て、掃除洗濯して、合間を縫って速攻で食事を作ることは神業だろうけど、そのわりには色々おかずを作ってくれる。

お袋の味とは違うけれど、箸をつけてみると、いつの間にかどんどん食べちゃう料理は、味見をしない、もどき料理のわりには美味しい。


ある意味天才の技ではないだろうかと思う。



子供の頃に食べたおふくろの味は、その味どおりの食事が取れなくなった時に初めて、懐かしさと共に、自身の心の中で増幅されて行くのかもしれない。

親父もお袋もまだ健在だが、あと何度、お袋の料理を食べる事があるだろうか。