家事手伝い


私にはずっとトラウマだった事がある。

厳密に言うと今も引きずっている。




食器洗いと洗濯。

なにをくだらないと、そう思う人もいるだろうけど、そこはまあ辛抱して聞いて欲しい。









大阪に転勤になった4年前、半年間ひとり暮らしをしていた。

その間の私の部屋は、完璧なほどに片付いていて、毎日仕事から帰ると床を掃除し、洗濯をして、乾いた服もショップのように畳んでたんすにしまい、風呂やトイレにも髪の毛一本落ちていない、そんな部屋だった。

1人になるとやることないから掃除して、1人で呑んでも楽しくないから酒は呑まず、もともと持っている400本近い映画のDVDを、ローテイションで観ながら眠る、そんな毎日だったが、家族と暮らす毎日では、掃除も洗濯も食器洗いも一切しなかった。








中学2年生の冬に、親元を離れて寮生活をした当時、寮生は8名ほどいて、私と央(不破央さん)の二人だけが中学生だった事もあって、寮の掃除、先輩達の洗濯、全員分の食器洗い、トイレ掃除、風呂の支度、そして先輩たちが眠るまでの長い長いマッサージ・・・と、当時まだ13歳やそこらだった私にとっては地獄のような日々だった。

当時の先輩たちを恨んでなんかいない。

先輩とは言ってもまだみんな高校1年や2年生で、子供だった。

だから先輩後輩の関係性の作り方も子供だったし、寮生活のしきたりやルールも曖昧で、後輩は先輩の生活の全ての面倒を見るものだみたいに思い込んでいただけで、当の私には地獄だったが、先輩達にはほとんど悪気がなく、当時はそんなものだとみんなが思い込んでいたのだと思う。
先輩達とは今の方がむしろ仲がよく、私自身もその後の人生の中で、本当に大切な懐かしい先輩として、一人一人全員が大好きで大切な人たちとなったことは間違いないが、しかし当時は全員が鬼に見え、だいっ嫌いだったのが本当のところだった。その頃は今のように仲良く、そして尊敬できるようになるなんて、まったく考え付かなかった。







あの頃の皿洗いは本当に苦痛だった。
とにかく毎日毎日、どれだけ練習で疲れていようとも、寮生の食事に使う食器の数はハンパじゃなかった。
朝と夜との食器洗い。
寮母さんには悪いが、特に料理がまずくてたまらん。
先輩は嫌いなものをすべて残す。
しかし残された料理は私と央が平らげねばならない。
牛乳で煮込んだ白菜が出たときには腰が抜けるほどの衝撃だったが、案の定、先輩は誰一人として手をつけない。
ほとんど全部残されて、それでも央は半分だけ、必死にかぶりつく。
でも私はもう食べられない。
央ほど根性も勇気もなく、ただただ途方に暮れている。
必死にエヅきながら口に押し込むが、それもほんの最初だけだった。
食堂の部屋から全員が去り、私1人になっても、なかなか食べきれず、口の中に押し込んで少しだけ噛んで、砕いてトイレで吐き出した。
無理やり水洗トイレで流して始末し、そしてこれまた半分残された汚れた食器を洗い出す。
食器洗いは私と央で半分づつがルールだ。
そのうちばれないようにビニール袋に残飯を入れ、学校のバックに隠し、駅に着くとホームのゴミ箱に捨てる・・・・。

そんなことを毎日毎日繰り返しているうちに、毎日手に取る食器洗いのスポンジが、ソースやケチャップで少しだけ汚れているスポンジが、そんな汚れたスポンジを見るだけで、吐き気がして、(オエッ!)となる。

どうにもならない毎日の食器の数が、私の中でトラウマとなり、その後の生活の中で食器洗いをすると、必ずあの時の流しの脇に積まれた食器を思い出し、眉間にシワが寄るようになった。





洗濯も悲惨だった。

練習は毎日で、朝は5時から学校へ向かう直前までの7時半まで行なわれていて、寮母さんの作るまずい朝食を掻き込んで、食器洗って慌てて走ってバスに乗る。

帰りも学校が終わって、帰り道のスーパーでパンを買って腹を満たし、5時からの夕練習に向かう。
10時頃終わって寮に帰り、これまたまずい夕食を食べ終わり、食器洗うともう、時間はゆうに夜中の12時直前だったから、洗濯は毎週、日曜日の午後と、月曜日の練習休みの一日しかチャンスがなかった。

8人分の、
1週間分の洗濯物。

それを央と二人でやる。

寮の2階の踊り場が、違う一般の人の部屋の前まで全部一面に、干された洗濯物で埋め尽くされる。

2槽式のたった一台の洗濯機を、何度も何度もフル回転させ、何度も干して、何度も取り込む。
月曜日の夜、カラカラに乾いた、しわくちゃの洗濯物を取り込むと、この後が大変。
みんな近くの衣料品店で、同じ靴下とパンツ買うから、どれが誰のかさっぱりわからなくなる。

それでもちょっとしたマークの違いや、色や汚れ具合、そして生地の伸び具合などから央と共に悩んで畳む。

洗濯物の畳み方は、とにかく折ればいいって訳じゃなく、衣料品店に陳列されているような畳み方でなければならなかった。

靴下は、2枚を重ねてくるっと縛るなんて、そんな簡単な畳は許されず、一枚一枚伸ばして叩き、ふたつに折ってまっすぐ重ねる。

とにかく靴下が大変だった。

何度も言うが、どれが誰のかさっぱりわからん。

それなのに、先輩たちはなぜかすぐに気がつく。
私が先輩の一週間分の洗濯物を、一人一人とごっそり届けると、靴下を投げつけられてしまう。

【これは俺のじゃねえ!】

そう言って怒る先輩。

時にはあまりにも靴下のセットがまちまちになっていて、怒った先輩に数時間正座させられた。

何度も言うが、こんなこと書くと随分ひどい先輩たちだと思われるだろうが、当時は仕方がなかったと思う。
みんなまだ子供だった。
それに今ならわかるが、他にも良い所が沢山ある、やさしいところもある、良い先輩達だった。
そしてまだ当時は、私たちの施設は手探り状態であり、チームとしても手探りであったから。




しかし私の中で食器洗いと洗濯は、ますます高いハードルのトラウマ仕事になっていったように思う。

それから何度か1人暮らしをしたが、1人で自分の使った食器と、自分の洗濯物を洗う分にはなんとも思わなかった。
大阪に半年間単身赴任した時間も、むしろ完璧なまでに掃除の行き届いた部屋と、綺麗になったタンスの中、チリひとつないトイレ、水滴も全てふき取られた台所が、私の部屋だった。



しかし何と男は勝手だろう。
妻と子供達と暮らすと、私は掃除も洗濯も、食器洗いも全くしなくなった。
そのくせ、口にこそ出さないが、散らかっている部屋や、髪の毛だらけの排水溝、汚れたケチャップ色の食器洗いのスポンジを見ると、(だらしないなあ・・・)なんて思っている。

(俺だったらもっと綺麗にするのに)
(俺だったら物をあちこち置かないのに)
(俺だったらもっと清潔にするのに)


そんなことを勝手に思って、そして全てを妻にやらせていた。

不満に思っても手伝いはしない。

私の中では家事を、妻が全てやって当たり前だと、そんな前提で暮らしてきていたのだ。




そしてこれもまた勝手な事だが、1人の時は掃除洗濯食器洗いも苦痛ではないのに、妻と暮らしていると、自分がやるのは苦痛に思う。
本当に身勝手なのだがそう思ってしまうのはなぜだろうか。
本当に本当に苦痛に感じてしまう。
そして昔の寮の台所を思い出し、無性に気持ちが悪くなるのだ。


きっとあの集団生活の時の、人の分までさんざんやってきた洗濯と掃除と食器洗いの経験が思い出されると、心の奥底で昔の私が悲鳴を上げはじめるのではないかと思う。

1人での生活では自分の事だけだが、
家族との生活であれば、それは家族であっても、自分の物だけではなくなってしまう。

しかし、仕事はしてこなかったとはいえ、主婦として、妻として、母として、それを15年以上黙って続けてきた妻。



高校生の長女はまめじゃないから世話がかかり、
長男の水泳の送り迎えから夜食から。
次女のお弁当に作って、
小学生2人の娘の宿題や学研の宿題などを見て、
私が帰れば食事は私専用のメニュー。

帰れば食事しながらテレビを見て、時には酒を呑んでる私の横で、
妻は7人分の洗濯と私や子供たちの制服やワイシャツのアイロン掛けて、
末っ子お風呂入れてドライヤーかけて、
自分もお風呂入って初めて椅子に座る。
やっと座った直後に洗濯機が鳴る。
すぐに立ち上がり衣類を干して、また洗濯機を回す。
3回くらい洗って干して、
だらだら食べてた私の食器が、
テーブルに食い散らかしたまま風呂に入る。

明日はゴミの日か、燃えないゴミか。

そんな間に時間は夜10時過ぎる。
親父のつけたテレビに食い入り、学校の支度をなかなか終えない小学生2人に、妻が苛立ちヒステリックになる。
その声を私はうるさそうにする。
子供がだらだらランドセルセットして、やっと小学生が寝る準備。
でもなかなか寝ない、寝ない原因は親父の見ているテレビ。
明日起きれないから早く寝なさいと妻。
ベソかく末っ子。
そんな末っ子をソファーで抱きしめて、一緒にテレビ見るいいとこ取りの父親。
そして寝不足の末っ子は朝起きない・・・・・。





そしてある日、食器を洗いながら妻が言った一言。

【この家の人って誰も何も手伝ってくれないのね】

ここでミソなのは、それが私に言った言葉ではないと思い込んでいたことだった。

さしずめ長女が高校3年生だった事もあって、長女や次女あたりに言っているのだと、本気でそう思い込んでいた。

私か、私を含めた誰かか、あるいは誰とは言わずか、妻の心の悲鳴が、きっとそんな言葉となってつぶやかれたのだろう。



そして昔のトラウマらしき経験を言い訳に、私は妻と暮らす中、ほとんど家事を手伝わなかった。




正直言って、今でもやっぱりどうしても嫌なものは嫌なんだけど、でもせめてと思い、自分の使った食器、自分の夕食の食器、私が台所に立ったときにたまたま流しに置いてある子供達が使った食器・・・・。
それらを洗うようにし始めて、そろそろ半年くらいになっただろうか。
それでも一度も妻にありがとうなんて言われた事はない。
【助かったわ】とか、そんな言葉を期待して、見返りを期待して手伝うのは、それは私の主義ではないけれど、時々そんな言葉を期待してしまう自分を情けなく思いながら、妻は15年間、一度も家族の残り6人から、ありがとうなんて言われてこなかったのだなあと気づいたのも最近だった。




子供の世話ならまだ致し方ないだろうが、私の世話にはそろそろウンザリしても仕方がない。
大人が自分の事すら自分でしないのだから。




どれだけ好きで一緒になっても、15年間毎日、掃除と洗濯と食器洗いの繰り返し、ほとんど手伝わない夫では、妻もいい加減疲れるだろう。



(もっと会社が疲れない仕事だったら、家に帰っても手伝う気分になれるのになあ)
とか、
(なにをどうやって手伝えばいいか、言ってくれなきゃわからない)
なんて、

そんな風に言い聞かせながら家事から逃げる俺は、悪い夫だなあ。

もう少し上手に手伝わなければ。

せめて食器洗いは自分の【エズき】と戦ってお手伝いしなきゃな。

とそんな事を思うこの頃なのです。