妻の味

妻との結婚前。

15年ぶりに再会し、紆余曲折あったがどうしても離れられない互いの存在。

埼玉と静岡との離れた環境で、どうにか一緒に過ごせないかと、いつも策を練って、そしていつも一緒に過ごしていた。

帰らなければならなくなると、妻はもう二度と私に会えなくなるのではないかと、別れ際、それまで気丈にしていた顔が一変し、心の底からの悲しそうな顔をして、泣いてしまう。

その涙が辛くて、帰るのをやめた日が何度あったことか。

互いに30にして再会し、青春のあの時代に、言えなかった積もった愛の言葉を、吐き出すようにぶつけ合って過ごした毎日だった。

一緒にいられる場所と言えば、妻の姉のアパートで、姉の家族の住む部屋に上がり込んでいたのだが、そこでの妻の色んな姿が今でも私の目に焼きついている。

埼玉に会いに来て、妻の姉のアパートに上がり込むと、まず最初に妻があり合せの物でサクサクッと食べ物を出してくれた。

そのとき出してくれたのが冷たいうどんでいわゆる【ぶっかけうどん】のような物だった。
冷たいおつゆに絡めたうどんの上に、おろししょうがとワカメが乗っていて、それが夕方だったこともあってからか、うどんと共に、レモン杯が一緒に出された。

(あ。一杯やれって事かな??)

そんな風に思いながらうどんをすすると、しょうがとうどんのおつゆが濃い味でぴったりで、あっという間に1杯をぺろりと食べてしまい、まるで炭酸コーラ飲み干すみたいにレモン杯を一気して、その私の焼酎の飲みっぷりを見て妻が、黙ってすぐにお代わりを作ってくれ、ほぼ同時くらいに冷奴が出てきた。

ほどなくして出てくる刺身や炒め物。

ひと段落してからは、そっとテーブルの横に座って一言。

『食事はあとで良い?』

食事とは、ご飯と味噌汁などを指したらしい。


(な、なんかすげえ。こいつすっげえ家庭的じゃん)


そんな事を思いながら、またレモン杯を飲む。

高校の時の互いの関係から数年間、気持ちを明かさず友人のままにしてきた互いの関係を、互いに一歩、二歩と、踏み込んで遅い恋に落ちた私たちは、大人になってからの互いの習慣や人格をまだ知らなかった。

台所に立つ、リーバイスのストレートジーンズを穿いた妻の後姿がとっぽくて、白いTシャツに背中まである金色に色落ちした髪が色っぽく、台所に似合わない存在感と、台所をサクサク使いこなす所作がかっこよくて、こんな綺麗で良い女だったかと過去の自分を反省した。

妻との再会までの15年間で、もちろん他にも女を見てきたが、台所に立つ後姿が、こんなにかっこいい女は見たことがなかった。
みんな一様に、(自分はまだ台所になんか立ちたくないのよ)ってそぶりばかりだったから、はっきり言ってどの女性も、結婚したら良い奥さんや母親になるという連想など、まったくできなかったのが本音で、むしろ不安に思っていたことのほうが多かったから、妻が私にすかさず尽くす、様々な所作が、とっても気持ちが良くなって、なんだか自分が偉くなったような錯覚すら覚えるほどだった。






しかしふしぎな事にあれ以来、あの味のぶっかけうどんを食べていない。

何度か妻にお願いして、あの時のうどんと同じ味で、同じ具を乗せたうどんを作ってもらって食べてはみたが、何度食べてもどこかが違う。

同じ味を味わう事ができないでいる。




あの時のたわいのない冷たいうどんの味。

そして洗いざらして色落ちしたリーバイスの501を穿いた妻の後姿。

静岡から高速飛ばしてやっと会えた瞬間の、最初の彼女の私へのプレゼントが、軽い食事とレモンハイ。







子供がどんどん増えても、妻は今でもそうやって、私が帰ると食事を出してくれる。

子供のおかずよりも、2〜3品多いおかずがあって、今は、健康面に気を使った品が、ひとつふたつ出てくる。



生きていると毎日が当たり前になる。

生きていることそのものに、感謝する気持ちを忘れてしまうように、妻が私にしてきてくれていること、妻の私への小さなプレゼントの積み重ねに、感謝する気持ちを忘れがち。

あの日のうどんの味はもう味わえないけれど、おふくろの味と同じで、いつまで妻の味を味わえるのか。

少しそういう緊張も取り戻して、妻の出してくれる食べ物の味を味わおう。