訪朝




子供の頃私は、いつか大人になったら、アントニオ猪木と戦って、猪木を倒すんだと、半ば本気で考えていた。

中学の頃にタイガーマスクが出てくると、あんなふうに飛んだり跳ねたりしなければ、プロレスラーとしては大成できないのかと思い、少し気持ちがトーンダウンしたのを覚えている。


昔は周りにいる誰よりも、生粋のプロレスファンだった。

しかし私がファンだったのは、藤波でも長州でもタイガーでも馬場でもなく、【アントニオ猪木】だった。




スポーツへ平和党参議院で立候補した時は、当時大学生だった、私の住んでいた合宿所に猪木が来た。

写真撮影などをした覚えがあるが、まだそのときは、いつか猪木と戦えるだろうか・・・・と、どこかで思っていた気がする。



プロレスが本気の格闘技ではないということを、決定的に理解したのは、実はずっと後だった。

グレイシー一族が現れ、全盛期を過ぎて引退していた猪木より、間違いなく今は強いはずだと思っていた高田や船木が次々とヒクソンに倒され、しかも完全にギブアップだったり、落とされたりした結末に、信じていたプロレスが実は、【激しくぶつかり合うショー】であったことを、やっとその時に理解した。

一般的には非常に遅い理解だ。




猪木という人を、子供の頃からずっと観察してきた。

レスラーとしても、一個人としても、議員としても、猪木のそれぞれに興味があった私は、猪木にまつわる雑誌の記事を読み、周りにいる猪木の弟子や友人たちの証言を貪るように読み、猪木の人間性を想像した。



猪木という人は、人一倍純粋である反面、自分のパフォーマンスを成功させる為なら、何でもしようとする、ある意味究極にわがままなところもある人で、世の中をあっと言わせることに最大の関心があって、目立ちたがりであり、それでいて正義の味方にあこがれるような節もある人だ。

失敗なんかいいじゃねえかよと、時にルール違反しても、何らかの信じた結果を出す為には、ルール無視もいとわない、そんな人だと思う。





スポーツ平和党参議院議員時代には、イラクの人質となっていた邦人を日本に連れ戻すことに成功し、数々のイベントや特種個人外交を成し遂げたものの、金にだらしがなかったことが災いし、スキャンダルに巻き込まれて2度目は落選。実に目立つ議員だった。

その後も食い扶持がないからか、自身の創業である新日本プロレスを売却し、イベントに名前を貸して、稼いだり、弱小団体を作って小川に仕事させて稼いだり、そんな事をしている中での、今度は維新の会からの出馬。

橋下さんの人気や活動のイメージが根強い維新の会に、自身のキャラクターを重ねて人気当選し、今度は北朝鮮に個人外交の矛先を向ける。

師匠の力道山出身の朝鮮半島にイベントをと言って、過去、北朝鮮にプロレスを持ち込んだ異端の議員だが、その成果は今でも活きている。





猪木は現在の訪朝を、スポーツ交流と言っている。
自分は拉致解決には関与しないとも言っている。

日本人の場の空気は、拉致問題を解決しようとしていないのなら、国会中、国会議員の癖に、訪朝なんかするんじゃねえ!というのが多くの日本人の心情だろう。

私の少しそう思うが、しかし、猪木は何を考えているかわからない。

ひょっとしたら、周到にコネクションを深めて固め、拉致解決の歴史に名を残そうと、そんな事を考えている可能性もあると思う。



解決した暁には、日本国民から、
『あの時何度も繰り返していた訪朝は、この日の為にあったんですね〜〜!!』
と、そんな風に言わせてみせると、思っているかもしれない。

アントニオ猪木という人は、きっとそんなところがある人じゃないかと思う。

というか、こんなにちょこちょこ訪朝するのなら、本当は実は、拉致問題解決の為に尽力して欲しいと、期待を込めてプラス思考に考えたいところ。




今の私はもう、アントニオ猪木のファンではない。

物凄く冷めた目で、彼を見てしまっている。



プロレスが激しいショーでしかなかったことや、
プロレスラーがまあまあ格闘技では弱かったということや、
議員になっても所詮、目立ちたかっただけだった。。。。といういことを知ってしまったことで、彼のファンではなくなった。
プロレスラーは、桜庭によってすいぶんその存在を救われたのだなあと、つくづく思う。