お人よし

私の師匠は物凄いお人よしだった。

人の話を疑う事を知らず、何を聞いても信用してしまい、それは明らかに嘘だろうと思える話であっても、なんか理由があるんじゃないかって思ってしまって、ましてや自分を相手が騙す事なんかないだろうと思ってしまう人で、まったく疑わない。

そんな師に育てられた私だが、幼い頃、母親によく言われた言葉があった。

『あんたはお人よしだから、もっとずうずうしくならなきゃだめだで〜!』

『世の中の人はみんな人を騙すだからね。あんたもっと疑ってかかんなきゃ、騙されっぱなしになるで!』







小学校や中学校の頃、マラソン大会では毎回圧倒的な1位だった。
レースがスタートしたばかりの時は、みんな凄く早く走って、私をどんどん抜き去るのだが、常勝の私を抜かそうと、みんな挙って私を抜こうと必死に走る姿を見ながら、私は(どうぞお先に・・・・・)という気持ちで、道を開け、体を窄めて譲って走った。

どうせそのうち5分もすれば、抜き去った皆が、全員ペースが落ち、私を横目で見ながら下がってゆく事がわかっているから、慌てる必要はなかった。


そしてゴールが近づく頃には、後ろを走る2位の選手が、遠く見えなくなるくらいに差をつけて、いつも一番でゴールするのだ。


しかし、どうぞお先にという走りで、スタートしたばかりのコースのごった返しの中、周りに驚き怖がりながら、必死に肩を窄めて道を譲る私の姿を見て、母親はヤキモキ、どうしてこの子はそんなお人よしなのだと、もう黙っていられない。

ラソン大会の沿道で応援しながら、

『あんたなにやってるだい!平気で抜かれてるじゃないだよ!』

と大声を張り上げた。

こう見えて、子供の頃はかなりのお人よしだったのよ。



そんな私が、私よりもっとお人よしの師匠に育てられ、

私のお人よしの性格は深刻に進行し、

そしてついに【世間知らず】へと成長した。

何たる事だ。。。




突然親元離れて寮生活に入り、厳しい環境で練習に明け暮れる毎日を過ごすうち、そこそこずうずうしい技を身に付けて、とりあえず生きていけそうな人間になった私だが、それでも人を信じやすく、騙されやすい生まれ持った性質は根本的に変らない。


そしてその後の人生でも私と師匠とふたりで一緒になって、仕事という経済活動では、何度も何度もいろんな人に騙された。


2000万円用意すれば、九州で大黒字のスイミングの経営権を買うことが出来るとか、

大儲けできる投資の話があるとか、

とても近いわけではないけれど、そう遠くない水泳に関連する関係者からのそんな話をいちいち真に受けて、

師匠も私も一喜一憂。

当時の部下である正一や、教え子のボブまでも巻き込んで、とにかくその話に乗る為のお金をどうやって工面するか考えた。

結局お金を持ってる誰に相談しても、

【米さんあんた、騙されてるよ】

とむしろ忠告されてお金を準備できず。

俺達はやりたかったが、資金が準備できなかったと諦めた矢先、

話を持ってきた男が【詐欺罪で逮捕】されたというニュースが入る。

米さんと私は顔を見合わせて、(よかったな〜〜おい〜〜)と、無言で笑う。



そんな事を何度繰り返した事だろう。



今の私であれば、考えられない馬鹿げた話を、当時の私は師匠と一緒になって、必死で実現しようと、企画書作成。

寝ずに一晩かけて作った100ページの事業計画書が無意味な紙切れとなり、おまけに詐欺の為の片棒になるところだったと知った時は、世の中恐ろしいと社会の現実を知ったものだった。


人に騙され愛車のBMWまで取られて、

人の借金の保障人になって数千万円大損こいて、

それでも騙した人を探しもしない。怒りもしない。

『ふくちゃん元気でやってるかなあ〜』なんて、むしろ心配してつぶやく一言が本当にお人よし。


そんな師匠が米さんだった。


誰を相手にしても、どんなに騙されたとしても、決して人を恨まない。

きっと訳があるんだろうと、むしろだました相手を心配している米さん。

そんな師匠の背中を見ながら、

【いつかこんな人になりたい・・・】と心の底から思ったものだった。


きっとこの世知辛い現代には合わない人間のタイプかもしれないが、ゆえに貴重な心の透き通りを魅せるあの人の姿に、

私は自分の心の内をいつも見つめながら、自分を恥じたものだった。

師匠と比べ、自分の心の如何に汚れている事か。

この師匠に習い、自分は何を学んでいるのか。

人は鑑と言うが、鏡に写る自分を恥じて、そしてまた師に学ぶ。



師の言葉に耳を傾け、自分の心と向き合うにつれ、私はますます過去を恥じる。

せめて過去を勇気を持って総括し、過去から繋がる今を、師の教えに照らしてみようと、そう思いながら、あまりにも早く、この世から師を失った。






矛盾な事を言うようではあるけれど、でも師匠を失って思うことはやはりこの確信である。

私の中で米さんは今でも、明らかに生きている。

そして今でも成長し、私に語りかけてくれる。


その師の言葉で私は鏡を見る。


その師の教えで私は、子供たちを見つめる。

その師の優しさで、私は世間を見渡そうと思う。