息子の涙

週末は息子の県大会だった。

土曜日が本人にとっては本命で、得意の100mでの出場。

LINEでほんの少しの文章で応援したが、私は仕事。

高校入っての初めてのレース。






そもそも受験で半年間、まったく練習もせず、せっかく1年半、続けてきた練習で、ほんの少し出来上がってきた水泳の体も、すっかり元通りに戻ってしまい、合格してから慌ててまた、スイミングに通う。
そんな慌しい春をすごし、この6月。県大会のシーズンに突入した。


そんな経緯があって、私はまったく期待をしていなかった。

とてもじゃないが、半年以上練習休んで、もともとほとんど素人同然で、それでも親父の背中に見える、競泳の古い歴史に恋焦がれた息子。

高校で水泳を続けるかも私はわからないほどだったのだが、息子は当然のように水泳の道をまた、歩く事を決めた。


受けた高校は本人の、出来るだけレベルの高いチャレンジではあったが、学力で選んだ為に、入学した高校に水泳部が存在しない。


水泳部がないということは、高校総体に関連する試合には、一切出れないという事になる。

それではまったく意味がない。

そこで受験前から、私は息子と共に、まずは受験し、合格してから高校に、水泳部を作ってくれと打診しようと約束。

妻の協力の下で、つい先日やっと水泳部が登録されたばかりだった。

そう。息子は、登美ヶ丘高校の初代水泳部創設者。

私と似たような境遇に出会う息子を見て、私は複雑な気持ちである一方で、誇れる青春を生きているじゃないかと思えるのだ。


高校では、校長、教頭、担任、顧問となる先生など、多くの人が息子に賛同し、水泳部を作ることに同意してくれた。

息子のためにチャンスを生かしてくれた先生方に、感謝でいっぱい。

そして、様々な登録手続きをすませ、晴れての出場。



多くの人に協力してもらって、遅れを取り戻そうと必死に練習。

前の週の日曜日には、彼のストロークを私が矯正。

集中して泳ぎや練習メニューを含めて指導できる環境があればと、歯がゆい思いもあるが、せっかく無理やりに入れてくれた感謝すべき、【JSSスイミングスクール】にまかせ、じっと堪える。




そして土曜日。



予選がどうなったのか。私は仕事。

主催しているセミナー会場で、ドキドキハラハラしながら、息子からの連絡を待っていた。


【 1:10:68 予選通過 】


この返事が来た時は、正直言って本当に驚いた。

私はベストタイムが出せるかどうかに興味があったのだが、ベストタイムを2秒更新し、さらに、決勝に進出したとあって、ヒザが震える思いで返信。


【おまえ、すげえなあ〜〜!】


予選を8位で通過し、9コースでの決勝。


近畿大会には8位までが出場できると言うではないか。


(ここで近畿大会のことを口に出してはいけない。。。)

そう思い、じっと堪えて、決勝の結果報告を待った。






決勝の結果報告は来なかった。

どうだった?と聞いた返信で、やっとタイムと順位だけの返信。



タイムは予選より落ち、レース結果は9位。

近畿大会出場できず。。。。。




次の日は200m。

200は本人はまったく泳げない種目。

半ば本人も、もう諦めていたと思うが、その夜私は、200mでも可能性があることを、息子に説いた。


練習不足と、選手経験の浅さで、短距離しか出来ないと思い込んでいた息子だが、そもそも父親の私は、長距離選手であったことを、彼に説明。

どこまでかはわからずとも、精一杯やって、ベストタイムを出していこうぜと、葉っぱをかける。


そして日曜日。


妻と末っ子と3人で、会場へ応援に。

妻とはギリギリまで、応援に行くべきか、行かないべきかで悩んだ。

私たちの存在が、かえって彼に、プレッシャーになってやしないかと、そして特に私が、レース前に息子に行なう、レース展開へのアドバイスが、息子にとっては、重く圧し掛かっているかもしれないと、そんな事を思うと判断に迷う。


しかし、彼の勇姿を見ずにいることのほうが、後に大きく後悔するであろうと、天理プールへ出発した。


そして驚きの予選通過。

9位ギリギリではあったが、明らかにありえないと思っていた出来事に、私は驚愕。

ブランクを払拭し、集中力と気持ちだけで記録を持っていった息子。




(こいつ、持ってんな〜〜〜〜〜)



大ベストを出したものの、決勝でも9位。


やはり近畿大会の道は途絶えた。


近畿への道はこれで終わったが、夏はまだ続くし、大ベストだったじゃないかと、私は十分賞賛に値すると思っていた。


引率してくれた先生に挨拶し、会場を後にしようかと、もう一度息子の姿を会場で探す。
見覚えのあるジャージの後姿が見えたが、誰かと抱き合っている。

(仲間のユウタ!だ!。。。)




見つけた息子の後姿。

その後姿は、スイミングの仲間の先輩の、肩に顔をうずめ、肩を揺らし、全身で震えて泣いている姿だった。
同じスイミングの女の子が、息子の背中をさすり、声をかけている。

やさしくしてくれるスイミングの仲間の声に、きっとなお、涙が止まらないのだろう。


(なんだあいつ、泣いてやがる。。。。。)


あぶなく胸を締めつけられて、もらい泣きするところだった。

後一歩、あと一人に勝てたら、近畿大会へ出場できたのだ。

それが泣くほど、悔し泣きするほどに、悔しかったのだろう。


(そうだったのか強太郎。。。それほど悔しかったのか。。。。)


しかし失った時はもう戻らない。


息子の高校総体の夢は終わった。


もっと俺が、練習を見てやるべきなのか。。。。。

いや、コーチを信じよう。

ここまで仕上げてくれたんだ。

俺がのぼせ上がってどうする。。。。。




それが物事の道理だ。




しかし、夏に向けては、まだまだ試合がある。

悔しくて涙を流せるなんて、なんて素晴らしい青春。

私は水泳人生で、一度たりとも悔し泣きなど、出来たことがない。

大学1年のインカレで、天皇杯を取れたときに、たった一度だけ、うれし泣きをしただけだ。


それに比べれば、それまで悔しいと、涙が出るほどの気持ちを持てる、息子の心は、なににも変えられないほどの美しさでいっぱいだ。



青春だなあ。


素晴らしいじゃないか。


試合慣れしていない、レース慣れしていない息子だから、きっとこれから経験を積んで、実力を出し切るコツを掴むだろう。

そうして自信をつけて、また水泳の未来を広げるだろう。

そのときにその涙が、喜びの涙になれるよう、俺は応援しよう。



いい日が続いている。