不眠

ほとんどの人は実は、人の話を聞いていない。
若い時は、話を聞きたくないときは聞きたくない態度をとる。
歳を重ねると、聞いてるフリをしながら心の中では自分の意見を次にどのように展開させるかを考えている。
若い時は聞きたくない態度をとりながらも、時に聞きたくなる気持ちに変化してくると、突然気持ちが素直になり、どんどん吸収し始める。
同時に多大な影響を受けることにもなろう。

しかし年齢を重ねるにつれ、会話が実は対話にならない。

腹の中では本当は、人の話など真剣に聞き入れようとは思っていないからだ。

聞き入れれば面倒が増えるとしか考えない。


組織などでは上席と部下の対話がそのいい例であろう。

ほとんどの上司は、部下の話を聞いていない。

ただでさえ、頭ごなしに話も聞かずに怒り散らすようなアホが多い日本の組織だが、深刻なのは聞いているフリをする人だ。

聞いているフリをしながら、実は心の中ではこう考えている。




【どうやってこいつを言いくるめてやろうか】




だからほとんどの大人は若者の考えなどわからない。
聞いているフリしかしていないからだ。

同時にほとんどの上司は部下の考えや心境などわかっていない。
わかっていないから動かせない。
動かせないから成果が出ない。
成果が出ないことを自分の責任にしたくないので必死に会議で弁明する。

ガタガタ足を震わせながら、カサカサ手を震わせ、書類を鳴らしながら。

挙句、その弁明の手段として、自分が動かせない部下にその責任をなすりつけようとする。



部下が自分の意図しない行動をしたり、報告を忘れたり、ささいなミスをしただけでも、このような上司は、部下を理解していないので、ただただ怒りをぶつけることになる。


私が学生のころ、つまり30年前くらいまでの大人は、若者に対する租借能力が非常に高かったように思う。
あの頃の大人は、つまらないことで怒りをぶつけたりすることはなかった。
若者を洞察し、失敗を想定し、許容範囲を備えていた。


時代は変わり、団塊世代に育てられた次の世代が現在の大人社会のピーク世代となった今、大人でありながら、感情や心が子供といえる、まるで【ことな】のようだ。

社会のほとんどの上司はこのようなものだろう。



確りと話し手の顔をや目を見つめ、その人の背景をを想像しながら、話を聞いていると、その言葉よりも重要な、言葉ではないが実は伝えたい本質が、ビンビン伝わってくるものだ。

本当に伝えたいことは、人間は実は言葉では伝えられない生き物なのである。
見えるものより見えないものに真実が隠されているように、人間も言葉では真実は伝えられないのではないか。

つまり、言葉をひとつの手段として、聞き手が話してのフィーリングにより近づくことによってしか、話しての真意は獲得できないのである。



転勤し着任してはや1ヶ月が経とうとしている。

大阪の部下たちは早速小さなトラブルが起き、小さな決断に迫られ、私と交代した不甲斐ない上司たちに翻弄されたようだ。

こうしてまた、私の手の指の間から誰かがスルリと零れ落ち、守りきれなかった後悔が私を襲う。


それが世の習いであることはわかっていても、指の間から零れ落ちた子たちを思い、眠れない夜が増える。