ポイ捨ての街

【村上 春樹】の文芸春秋の短編小説で、タバコのポイ捨てを表現する際に、北海道中頓別町でのシーンで、【普通のこと】と表現したことについて、この町の町議が怒っているんだって。


当事者ではないので軽はずみには言えないけれど、小説の中までクレームがつくのは私個人としては解せない。

最近日本がどんどん欧米化していて、イルカの追い込み漁を批判したケネディのドラ娘の大使や、企業宣伝や金の為に鯨漁の妨害、捕鯨調査船の妨害を繰り替えす白人の影響か、文学に関してまで日常に重ねて見て、納得できないとばかりに自己の正当性の主張に終始する日本人が増加している。

『うちの町は、タバコのポイ捨てなんかしないぞ!』

なんて言って、正義の人ぶって小説にクレームつけても、ポイ捨てする人は必ずいる。

中頓別町は少ないのかもしれないよ。森林地帯らしいから、山火事の防止策として、昔からタバコのポイ捨ては抑制されているという人もいるから。

でも誰かは必ずやっている。

その程度の実情にもかかわらず、小説文学を、その作者の意図を汲まずに書き換えさせたりしたら、それこそ自由な表現というものを脅かす、慇懃無礼な似非正義という事になる。





我が事業部では毎月一度、近くの駅から会社までの【通勤路】をお掃除している。

正味3キロ圏内くらいの円範囲を、何通りかの通勤路に渡り、何班かに分かれてお掃除している。

このお掃除を始めるきっかけになったのは、鈴木大地日本水泳連盟会長と共に、フェイスブックにて行なっている、ビーチクリーン作戦、海の砂浜を綺麗にしようという、自主ゴミ拾い活動の一環として、海のない私の通勤路周辺や生活環境周辺のクリーン作戦を行なおうという事に、事業部社員全員の意見によって行なうことになったのだ。


会社は東大阪市内。

ある駅からの通勤路には、数万本のタバコの吸殻が落ちている。

それを先の細い私の専用のホウキでひとつひとつ拾う。

通常サイズのチリトリは、すぐに吸殻で一杯になる。

いつも後ろには、その集めた吸殻をさらにまとめる為の、大きなゴミ袋を持った部下と、ゴミ拾い用の先の長いトングを持った部下が一緒に周る。

その部下達が長めのトングを持って付いて来る理由は、【犬のウンコ】を拾うためだ。



東大阪は、タバコのポイ捨ても物凄いけれど、飼い犬の散歩の時、飼い主はウンコを拾わない人がかなりいるということだ。

村上春樹さんでも東野圭吾さんでも、東大阪を舞台にした小説書いて、(この街は、飼い主のモラルが低い街なのだろう)なんて書いたら、そんなことないわ〜〜!!って東大阪の議会議員が挙ってクレームして、小説廃盤。なんてことにするってことか?




東大阪は、ものすごい犬のウンコだらけです。

夜の歩道は、ウンコ踏みそうで、ビクビクしながら歩いています。

毎朝駅から会社までの歩道で、沢山の人がモクモクとくわえタバコで歩きタバコして、あたりはタバコの臭いで一杯です。

そして当たり前のように、『ポイッ!』と投げ捨てています。

私はそれを見ながら、(拾いがいがあるなあ〜〜〜)と思い、みんなと行なうクリーン作戦が楽しみになります。






そんなモラルの塊みたいなクレームつけて、以外の場所や事柄で、どれだけモラルを演じられているんでしょうね。その人たち。