6個

北島選手ありがとう。

100mの予選の泳ぎを見た時、実は、
(ああ!ダメだ!)
と思いました。

タイミングがすべてと言ってもいいほど、ストロークがデリケートな平泳ぎにあって、ストロークのキレを失い、プルのキャッチがほんのコンマ1レベルでずれているようで、それが全体のストロークバランスを崩していた。
そんな状態にあっても決勝にも残り、しかも、正々堂々と戦って敗れた。


まさに日本水泳界のキングである。


続く昨日の200m。
100mの時とはうって変わって、いつもの北島選手のタイミングを取り戻していた。
この短時間に、ここまで調整する能力には、ただ驚くばかりである。
普通は絶対に不可能だ。
言うなれば皆同じ条件だとは思うが、きっと時差ぼけや、長時間のフライトなどが、コンディション調整に支障を来したのではないか。
中枢神経からの伝達スピードが、若干鈍っていた感じだったのに、見事に調整し直して来た。

美しいストロークで立石選手と共に決勝に進み、日本人選手2名で戦いに挑んだ。
北島選手は惜しくも4位だったが、3位を争った相手が日本人選手の立石選手であり、そして立石選手が北島選手を抑えてメダルを獲得したのだ。

私は明け方4時の時間帯に、ひとりリビングでこのレースを観て、ずっと涙を流していた。
北島選手の今回のオリンピックを、マスコミは3連覇、3連覇とはやし立てた。
相変わらずバカなマスコミだが、まあ、過去2回のオリンピックで2連覇したのだから、騒ぐのも仕方がないか。受け流している北島選手も立派だ。
彼の今回の挑戦は、メダルには届かなかったが、もしかしたら、立石選手に銅メダルをとらせる為にあったのかもしれないと思う。
日本の水泳界を世界と戦える集団に育て上げ、次の時代にバトンタッチするという、まさに偉業を成し遂げたのではないかと。


これは運命だった。
お天道様がそう導いたのだ。
100mで敗れても、
「申し訳ない気持ちだ」
と、敗れて潔い、透き通った心に、私はあの北島康介をして、メダルが問題だったわけじゃなかったんだな、と、深く心に刻み込まれた。


彼にとってオリンピックとは、金メダルのことを指すのではなく、
【挑戦する】
ことを指していたのだ。
それが今更のように、私の心に突き刺さった。
潔く、時に弱さすら感じる人間味溢れた彼のコメントを聴き、そして泳ぎ終わったばかりの息の切れた体で、目いっぱい正直に答える人間性を見て、彼の挑戦の時代に私がこうして生きていたことに感謝した。


そして立石選手。おめでとう。良かったね。最後に憧れの北島選手にオリンピックの舞台で勝ってあげられて。


感無量とは、こういうことを言うのだろうね。









女子200mバタフライで銅メダリストとなった星選手は、なんと私の母校出身の早大生との事。
いえいえ、先輩ぶるつもりじゃないが、私の後輩にあたるらしい。


私は埼玉県の春日部共栄高等学校出身。
共栄高校の2年生の時に同じクラスの隣の席に座っていたちょっとした美少女が、武内りさという子。
その子が私の妻。


当時の春日部共栄高校は、水泳部こそかろうじてあったものの、埼玉県でもまともに戦える選手はいなかった。
2名ほどの先輩部員はいたが、決して速い選手ではなく、水泳を好きで入部したという先輩が2名のみ。
そこに私が入部した。
同じように、私の春日部共栄高校への進学を聞きつけた同期の埼玉県選手が数名、入学した。
それで、これまで2名程度であった水泳部が、一挙に10名以上のチームになった。
私と田川孝浩さんは、同じ米川先生の下で練習し、他の部員も、それぞれ地元のスイミング出身だった。

無名だった春日部共栄高校水泳部は、私たちの入部に伴い、埼玉県大会で総合優勝し、リレー種目などにおいても、一挙に優勝をさらった。
次の年には、私と同じ米川先生チームの、不破央さんが入学し、春日部共栄高校の水泳部は、さらに膨れ上がった。
総勢50名くらいになった水泳部は、つい1年前とは、まったく違う大きな組織チームとなり、インターハイでは、総合3位になり、個人種目でも、優勝、準優勝などで、全国に春日部共栄高校の名を広めた。
その後も私が3年生になると、入部したいという選手が激増。
部員は100名くらいに膨れ上がった。
あの頃の春日部共栄水泳部は、最高のチームだった。
ボブこと、長畑弘伸さんも入部し、のちにオリンピックへ出場。
春日部共栄高校水泳部は、全国どこへ行っても、肩で風切って歩いていた。
当時の水泳部マネージャー【関さゆり】さんは、現在の不破央さんの奥様。
うふふ。いいね〜。



共栄高校の理事長は大変喜んでくれた。
今でもきっとよく覚えてくれていると思う。


私は卒業し、その後は詳しくは分からないが、米川先生の教え子はその後も入学し、中には私の弟の、住吉信彦もいたし、さらには、倉澤利彰さんという後のオリンピック選手も入学。
そしてその後も、埼玉県内の優秀な選手が、こぞって入学する進学校へ成長した。


話を戻すが、そういう高校が私の母校。
そして今回、200mバタフライで銅メダリストとなった、星選手の母校。


そして私の妻の母校。

つまりこの4人は全員春日部共栄高校だってこと。



これで日本水泳陣のメダルは6個だ。
すげえ〜〜〜〜〜。
本当にすげえ〜〜〜〜〜。