あの頃の時間

Facebookのウォールで、昔の寮生活の仲間である、「不破央」(ふわひさし)さんが、私たちの練習していたプールの脇にあった、プレハブ小屋の取り壊しを残念に思い、ボロボロに古くなった現在の写真を撮影してきてくれていた。
このプレハブ小屋は、当時我々選手が、ウエイトトレーニングをしていた小屋であり、私たちが水泳で、日本一、世界一を目指していた時代の、いわば生き証人みたいなもの。
まさに血と汗と涙が沁み込んでいるといっても過言ではないと思う。

もうこんなにボロボロだったのか・・・・・。
そりゃあ、当たりまえだよなあ。もう、30年近く前の事だもの。
残っている方が不思議・・・。

この鉄の柱は、柱の間に、バーベルの棒を挟み、外側にバーベルをはめる事で固定し、ベンチプレスや、スクワットの際に、体や腕が、前後にグラグラ動かないように、亡くなったわが師、米さんが考案したものだ。
さらに最高部にもバーベルの棒を置き、今度はその棒に逆さまにぶら下がる。足首にフックの付いた鉄製のブーツを履き、フックをかけて、逆さまにぶら下がるのだ。
そしてやることはなにか・・・・。
「腹筋」である。
さらに、20kgのバーベルを抱きかかえさせられ、バーベルごと腹筋する。
そんなトレーニングをやってきた我々選手も変わっている気がするが、そもそも今から30年も前の時代に、こんなトレーニングの方法をあみ出したものだと、今、つくづく米川先生には感心する。
しかも、当時は一般的には、水泳のトレーニング方法に、ウエイトトレーニングを取り入れてはいない時代だった。
米さんは水泳界にウエイトトレーニングの重要性を説き、先人となったコーチだった。
本当に偉大な人だ。
そしてこのプレハブ小屋の名前は、「強くなってしまう部屋」。
本当に実際、多くの子供たちが強くなり、速い選手となって、日本の水泳界で大活躍した。
選手だけではなく、コーチの米さんも同様だった。

現在の水泳界にも、本当に水泳を愛し、選手育成に自分の人生を賭し、水泳界への貢献に人生を費やしている偉大なコーチは大勢いる。
しかし、当時から米川先生は、その技術論においても、育成の教育論においても、日本水泳界の権威になってしかるべき才能を持った人物だったと、今になってなお一層思える。

現在のオリンピックチームのヘッドコーチは、私の知る限りコーチの才能は皆無な人物だが、それ以外の現場では、現在のコーチの人たちは、物凄い進歩していると思う。

本当の現場で活躍している勇士は、政治に弱い。
現場を知らない人は、出世や権威を追いかける。
連盟の決めたオリンピックヘッドコーチ。
「無能」だとみんな知っている。どうでもいいけど。






また水泳について考える時間が出来た事は、私の人生の厚みが増す結果となっている。
長男の最近の練習ぶりも、入った頃と比べると、格段の進歩が見える。

スイミングスクールの観覧席で見学していると、つい自分がプールサイドに行って、息子を指導したくなってしまう。
(ちがう!そうじゃない〜!)
(あっ!あほ!そこで踏ん張るんだ!)
腕組みして、じっと黙って見学している間中、心の中で、私は大声で息子を指導している。
まだ2ヶ月と経っていないが、夏にJOや、全国大会に出場するくらいのレベルにいけたらいいなあ。


私たちが選手だった頃、今の時期はヘルウイーク(地獄の週間)と言って、メチャメチャ練習する時期だった。
10月頃から2月頃にかけて、毎日地獄の練習を続ける。
朝4:30からまず水中練習。 正味約10000mほどの練習だ。
7:00頃まで練習してそのまま学校へ向かう。
17:00から午後の練習。
まず、10kmのランニング。
サーキットトレーニング15分。
腹筋50回×10セット×2セット。(1000回)
背筋100回×10セット。(1000回)
腕立て10回×10セット×10セット。(1000回)
スクワット1000回。
それからウエイトトレーニングが始まる。
約1時間、7秒のインターバルを入れて、次々と移動しながら、10種類ものマシンで、集中的に行なう。

ウエイトトレーニングが終わると、この辺りで時間は20:30頃だろうか。
それから水中トレーニングに入る。
しかし、この頃になると、全身の至る所を徹底的にいじめ抜いている為、体に力が入らない。
いつもなら当たり前に行なうクイックターンも、脚の筋肉がプルプルを笑っていて、壁を蹴る事が出来ない。
それでも容赦なく練習は続く。
約3時間くらいで大体12000mくらい泳ぐ。
終了時刻は23時(夜の11時)くらいになる。

それから寮に歩いて帰る。
真っ暗な夜道だが、疲れきって誰も口をきかない。
寮に帰ると、過酷なトレーニングで失ったカロリーを補う為の、物凄い食事が容易されている。
しかし、誰も食べれない。

そのまま布団にもぐり込む。体中がプールの塩素でガビガビだが、風呂に入る気力などない。
そして次の日の目覚ましが鳴る。
4:00だ。
そしてプールへ向かう。
冬の朝の道路は寒い。冷たい風が吹き、何枚着込んでも、体は芯から冷える。

プールについて、だらだら着替える。
プールサイドは寒い。ボイラーは点けていない。スイミングスクールは、通常の営業時間外に、ボイラーを炊く事はない。
寒い。
体が痛い。筋肉痛は極致に達している。
そして何事もなかったかのように、米さんの号令が響き始める。



今だったら絶対に出来ない。
いくらなんでも、息子にもあそこまではやらせられない。

でも、あの時間があったおかげで、何にも変えられない思い出を、米さんとチームの仲間からいただく事が出来た。
すべての仲間に感謝している。
そして何よりも、誰よりも、米川先生に感謝している。