知り合いの被災

本日31日現在、警察庁の発表では、死者は1万1438人、家族らから届け出があった行方不明者は1万6541人で、計2万7979人になったということだ。2万8千人が死者と行方不明者。なんという災害だ。改めて冷や汗が出る。瓦礫の中から次々と発見される行方不明者。あそこに立っているのが自分だったとしたら・・・。家族の誰かが、あるいは自分以外の家族全員が・・・、あるいは自分だったとしたら・・・。様々な思いが交錯して、下を向き、眉間に力が入る。
今日、大変残念な一報が入った。社内では公にしていないが、私が中途入社した当時、研修先の責任者であり、その後も私の現在の事業部の最高責任者だった、入社当時からお世話になった元上司の、奥様と、お母様が、今回の震災で行方不明だったのだが、昨日遺体となって見つかったとのことだった。我社を引退して仙台に帰り、地元で引退後の新たな仕事を見つけ、走りぬいてきた会社人生を、少し緩やかな歩調に変えて、これからゆっくり暮らしていこうと、新しい門出を迎えて間もない時の出来事が、今回の震災なのだった。
なんということだろう。
私は毎年個人的に、引退後のその方に、私の地元の名産である釜揚げしらすをお贈りしてきた。そうすると必ず丁寧なお礼状を下さるのが、奥様だった。綺麗な字と、暖かい文面に、私は妻と一緒に笑顔で顔を見合わせたものだった。
あの奥様が、無差別に襲い掛かるあの大津波に流されたのか。残された元上司の気持ちはなんたる痛みであろうか。思うと辛くなる。まだ連絡する勇気が出ない。かけてあげられる言葉が見つからない。
元上司自身も、運転移動中に津波に飲み込まれ、車と一緒に流されたそうだ。流される車が、ひっくり返っていたら、だめだったのではないかと、役員が聞いたらしい。車に乗ったまま、流され、瓦礫に引っかかり止ったことで一命をとりとめたらしいのだ。
我社の仙台の生産拠点も壊滅した。つい3ヶ月前に私も訪れていた所だ。仙台空港の近くで、海岸沿いであり、一番最初に津波に流された場所だ。3ヶ月前のあの景色は完全に消え去ったのだろう。

東日本は東北の災害と、原発事故の余波、計画停電などで苦しい経済状況と生活環境を余儀なくされている。だから西日本から元気を出して、日本を活性化させなきゃ。マットレスも成功したし、また、通常業務の努力に加えて、新たに次に出来る事を考えて行こうと思う。

以前にこのブログで書いたが、管総理大臣からの挙党体制を断った谷垣自民党総裁。いまだにどこで何してるのかわからないが、もう一回検討してほしい。管さんも、まさかパフォーマンスでもあるまいに。政治家よ、それぞれを信用してみよ。お互いに信用し、政局倫理は捨て、期間限定で良いから、各党のそれぞれのスペシャリストを抜粋して、被災者支援体制と、復興支援体制に傾注し、原発問題をベストの収束へ向かわせろ。今やらないで、いつやるんだ政治家たちよ。スーパー堤防を仕分けした民主党を非難するのは、もう今回はあきらめろ。状況が変ったんだ。頼むよ。国民がみんな、「力をあわせよう」ってお互いに励ましあっているときに、あんたら貶しあってる時じゃないんだよなあ。むしろ、政治家同士、励ましあってみろって。
頼むよ〜。