水泳ブランド その2

先のブログを書いた後、よく考えたらもっと書きたいことが出てきてしまった。
昔から水泳にかかわるブランド(メーカー)たちの談合は、実に奇妙な世界だ。たとえば顧客を取られたとか、あの客には行くなとか。ビジネスのイノベーションが顧客ニーズにないのが水泳ブランドの世界である。
企業の繁栄と存在意義を司るものは、顧客ニーズである。ところが、今回私があるコーチから聞いたことと、過去の自分の経験から言うと、たとえ顧客が「あの会社から買いたい」と言っても、3大ブランドは怒り心頭になってそれを邪魔して、徹底的な圧力をかけてくる。しかしそのわりには、ひとつの商品を、「○○○円で売りなさい」とか、「安く売るな」とか、完全に公正取引委員会の審査があったら抵触するようなことがまかり通っている。
このような世界は、アマチュアスポーツの世界以外では圧倒的に少ない。そしてまた、そんな事が発覚すれば、即刻逮捕される可能性もある。
間違っている。彼らは自分達のしていることに気付いていない。
この現象は、自分の居る家だけを常に有利にし、自分だけが得をし、他人はどうであろうとかまわないという、侵略的発想である。アングロサクソンの自由市場原理主義(リバタリズム)の方がまだましだ。金がすべてだと言うリバタリアンであっても、自由競争を阻害したりはしない。
しかし、世界は少しづつ気がついてきている。自分の会社だけ良い思いをするような戦略は、顧客ニーズから外れ、マスターベーション企業となり、キャンキャンと犬のように吼える事でしか売上を担保できないという現象を起こす。「より速く泳ぎたい」という顧客ニーズと競泳界への貢献に努力したメーカーは、他社に真似できない高速水着を開発し、強い販売力を持ち、努力の足りないブランドを突き放す。しかし突き放すのは、購買力のあるブランドや営業ではなく、顧客なのだ。顧客がより良い仕事をするブランドを要求するのだ。顧客が、その水着を選ぶのだ。選手に協賛している企業は、たとえ自社ブランドを着てくれなくとも、選手が1秒でも速く泳げる水着を選択するのを阻止すべきではない。本末転倒である。100歩譲っても、ブランドマークだけつけさせてもらえるよう、土下座して頼むしかないのだ。それが協賛の意味の本質的な出発点である。しかし優秀な商品をまねて、いたずらに商品開発しても、その絵に書いた餅はすぐにばれる。
顧客ニーズは自由競争の中にこそあり、純粋な企業努力によって社会貢献があり、商品開発は、潜在的な顧客ニーズを引き出すことによって成され、業績推進は、営業活動の積み上げによって成されるものだ。そして商品品質が企業の信用度を上げ、営業品質が企業の信頼を創るのだ。

古い友人のコーチから聞いた話だ。
ある時の日本選手権で、ある一流スイマーが、ある優れた水着を着た。しかし彼を協賛しているブランドは、その水着のブランドではなかった。その選手は悩んだ挙句、記録を出す道を選んだ。協賛企業の社員は、選手の召集席で、レース直前の集中している選手に向かって、「いますぐ脱げ!」といって怒鳴り散らした。しかし、選手は脱がなかった。召集席で、レース直前の出来事だ。
そしてその選手は、怒鳴り散らされても、どれだけ脅されても、100分の1秒でも速く泳ぐ為に、その高速水着を着てレースに出た。そして日本記録を出し、オリンピックに出場し、メダルを獲得したのだ。

私はその、召集席で協賛選手を怒った、あるブランドの社員を立派だと思う。自分のブランドに対する忠誠心と、企業が選手に対して行う協賛が決して簡単に考える事ではない事を、きっとその後、その選手は知る事が出来たろう。ただ、その企業の社員も、水泳選手だった。1秒でも速く泳ぐために、誰よりも努力した選手だったのを知っている。彼もまた、元来とても良い男だ。立派な人間である。
この話を聞いたとき、私は咽び泣いた。酒の席だったこともあるかもしれないが、そんな事は初めてだ。その社員の気持ちもとても理解できる。立派な事だ。しかし、選手の気持ちも痛いほど理解できる。もうその水着はスタンダードだったのだ。やるせない気持ちで、どちらもかわいそうで、どちらも美しい・・・・・。