寮出(寮を家出すること)

中学2年で入った東京足立区の合宿所は、当初、「寮」と呼んでいて、アパート名は「みどり荘」だった。
今時なら、○○荘なんてアパート、ほとんど存在しないのではないかと思うが、その呼び名の通り、古くてボロくて、いい思い出がない。
このブログにも最初の頃書いたのだが、その頃一緒に入った1年年下の後輩に、不破央さんがいるのだが、その頃の私はとても子供で、彼に先輩らしい事をひとつもしてやれなかった。自分がまだ子供の考えしかなかった事もあるが、それ以外にも、とにかく先輩の存在が巨大であり、先輩8人分の洗濯物や、まずい食事の食べ残しを平らげさせられる日々に、私はほとほと疲れ、後輩に思いやる余裕も一切なかったのだ。しかし、央の方は違った。嫌な事はあっても、つらいことはあっても、先輩達と仲良く過ごしていた。央は彼らにも可愛がられていた。ところが私は、それを羨ましいと思うことすらないほど、実はあの頃の生活に必死だったのだ。
そんな私だったが、一人だけいつでも優しい先輩がいた。
同じ静岡県富士市出身の「田島修」さんだ。修さんは、別にいつもニコニコしているようなタイプでもないし、機嫌の悪そうな日もある。しかし、先輩でも後輩でも、修さんには誰でも自然に接することが出来る。機嫌が悪い日でも、お構いなくガンガンじゃれていくと、すぐに笑い出し、一緒になって遊んでしまう。凄い小心者で、実はかなりの弱虫だ。今思い出しても、修さんは水泳をやっていて本当に良かったと思う。だって、水泳みたいな勝負の世界にいたから、まだあれで済んだのだ。
修さんは私たちと寮生活をしていた数年間のうちで、10回近く「寮出(りょうで)」をした。寮を家出する事だ。
最初のうちは、わりとすぐに見つかった。書置きをして出て行ったわりに、近くの喫茶店インベーダーゲームやってたりしたから、すぐに見つかって、米さんに2時間くらい説教されて終わる。説教といっても、米さんのお説教は、聴いていると全員泣く。怒られるというより、教えられるという感じだ。修さんも高校生になっても、いつも米さんの説教で泣いていた。
でもまた数ヶ月すると、書置きして居なくなる。最初に発見するのは同じ部屋の鈴木先輩か、塩田先輩。寮で一番の先輩達。二人とも同じ静岡県富士市出身。小さい頃から同じスイミングで米さんに教わって大きくなった子供たちだった。
みんなで必死に探す。修さんも、今度は近くには居ない。同じ高校の同級生の家に潜伏していた。
修さんはいくら寮を出て行っても、富士の実家には帰れない。理由は母親が絶大な信頼で、完全に米さんに子供を任せているから、帰ってきてもすぐに寮に戻されてしまうから。
修さんも毎回それなりに決意するのだろう。でも、高校生の行くところなんて、友達の家くらいだ。すぐに見つかる。
出て行ってすぐ見つかり、また出て行ってすぐに見つかっちゃう。そんな「寮出」だったが、いつもその度に米さんが顔を引きつらせて「なんでや!なんかあったんか?!」と聞いていた事を覚えている。
実は米さんも小心者だった。私たちの前では、やせがまんしていたのだ。その証拠に米さんは、修さんが頻繁に繰り返す「寮出」のせいで、狭心症になった。
そのうち修さんは、寮出してもいくところがなくなってきた。ある寮出の日、修さんは西日暮里の駅周辺を、行く当てもなくトボトボと歩いていた。それでも寮を出て、伸び伸びとしているから、それなりに気分は爽快だったのだろう。歩きながらいつもでは考えられない、「歩き煙草」で、高校の制服姿。すぐに補導された。
私たち寮生はあちこち電話し、どこにも居ないと諦めていた時、寮の食堂の赤電話が鳴った。
出ると警察からだった。米さんが代わり、事情を聞く。そのまま車を飛ばして警察へ。派出所の奥でうつむいた修さんの後ろ頭はたきながら、米さんが警察官に詫びる。
後の修さんの話。
あーゆうことがある度に、米川先生に申し訳ないなあ〜と、心から思ったそうだ。
しかし私は思った。それならなんで、何回も「寮出」なんかしたの?と。でもそれが修さんなんだなあ。
だって修さん。結婚して子供できて、転職して初めてのボーナス抱えて、家にまっすぐ帰らず、ちょっと増やそうとパチンコ屋へ。
全部すって(摩って)しまい、家に帰れなくなった。そのまま家出。
大人になっても自分の家を家出するくらいだから、もうこればっかりは仕方がない。
結局昔からの先輩の、鈴木さんが修さんを探して家に連れ帰った。鈴木さんはもうずっと遠くに住んでいるのに、その為にわざわざ修さんを探し、自宅へ連れ帰ったのだ。

我が家の長女は日曜日も部活。毎日毎日夏休みもない。家に帰れば、疲れて機嫌が悪く、妻といざこざ。昨日の日曜日、部活は13時半に終わっているのに、夕方6時過ぎても帰ってこない。メールしても返事がなく、電話しても「電波の届かないところか、電源が・・・」というアナウンス。そのうち妻が言い出した。
「最近学校で、先輩と両思いになったみたいなのよ〜。なんかしてるんじゃないよねえ〜」
「ん?何を?・・・・・・・」
「高校生ってさ〜興味ではじめるじゃん〜そういうこと〜」
「ああ。あるだろうね。たぶん今頃ホテルじゃん??」
軽く冗談言ったつもりだったが、妻はだんだん深刻になっている。
最近、口喧嘩が多かったから家出したんじゃないか?
どこかで事件に巻き込まれてるんじゃないか?
家出なんかできるタイプじゃないんじゃないかとか、もし家出したならどこに行くだろうとか、妻は天然の頭で考えてみる。
しかしいくら考えても「イオン」くらいしか出てこないみたい。
私は修さんの経験があるから、事件じゃなければ、多分家に帰ってくるだろうと思っていた。せいぜいどこかで遊んでるんだろうと。
しかし深刻な妻の姿を、子供たちも全員察知する。4番目の梢が、
「おねえちゃん帰ってきた!」
と妻に伝えに来た。
妻がこんな時間まで何やっていたのか聞くと、予想に反して長女は、なんだか嬉しそうに、デパートですごく可愛い水着があった話をし始めた。妻はあっけにとられながら、それならなぜ携帯の電源を切っていたのか、問うと、長女は電池切れで充電するところがなかったとの返事。
なあんだあ〜〜〜・・・。と家族全員で、ほっと安心。
親と家族の心配をよそに、長女は、
「ねえ〜おかあさ〜ん・・・。水着買って〜」
と甘える。妻は安心したせいか、調子よくなって、お父さんに言えば?と一言。娘が言いづらそうにしているので、「じゃ買いに行こう!」と即立ち上がった私。
一家全員で、長女の無事を喜んでいるのだろう。口にこそ出さないが、全員で、行こう!行こう!とはしゃぎ出す。
もったいない・・・と普段ならブツブツ言う妻も、何も言わず、さあ!行きましょ!行きましょ!と、支度を始めた。
夜7時から出かけた水着売り場。どれを欲しいのかと聞くと、ブルーと白のストライプのビキニ。
(がぁ〜〜〜ん)
(おいおいビキニかよ〜。大丈夫かよ〜〜。)
(でも、若い時しか着れないしなあ〜。何も言わず買ってやるかあ〜。)
「お!いいんじゃない?自分の気に入った水着が一番!それにしろそれに!」
といって、レジへ。
8,900円だって。
値札見て、頭がガンガンしてくる。
スクール水着しか持ってなかったんだし、仕方がないか・・・。

経費かかるなあ〜。

ま、親父の煙草よりはよっぽど活きた経費だな。