指導

「お前は水泳じゃなくても、何をやっても一流になっとるんや。」
恩師の言葉だ。(なってないけど)

子供の頃、恩師の米さんに水泳を教わり始めてから、結局23年間師弟の関係が続いたが、何かの折に言われる言葉だった。
まだ小学校の頃、富士のスイミングには30人くらいの子供たちが選手クラスとして在籍していた。
まだみんな本当に子供で、しょっちゅう泣いている子供がいた。
その頃、実は私がずっと不信に思っていたことがあった。
米さんは、子供たちに対して、本当に真剣に指導していたから、たとえば誰かの泳ぎの指導が始まると、1時間中、ずっと大きな鏡の前で、ストロークの指導を行う。キャッチポイントからフィニッシュまでのストロークの軌跡や、指先の入水角度まで、念入りに何度も何度も指導する。
クロールだけではない。平泳ぎの方がむしろ時間をかける。平泳ぎはストロークがデリケートな種目だ。上半身と下半身のタイミングが少しでもずれるだけで、大きく記録が変ってしまう。進まなくなってしまうのだ。その為、平泳ぎの選手には、非常に多くの時間をかけて指導する。
しかし、私は米さんに、ストロークの指導を受けた事がない。水中の指先から脇の下までの腕の使い方も、リカバリーの軌跡に関しても、姿勢や入水角度に関しても、何ひとつ、泳ぎに関する指導を受けた事がなかった。
米さんから受けた指導は、「もっと早く泳げ」くらい。
だから、ストロークの指導を受けている他の選手達が本当に羨ましかった。そして、なぜ先生は、俺を指導してくれないのだろう?と。いつもそれを不審に思っていた。先生にこっちを見て欲しいと、目立つように工夫した。
インターバルの練習では、最後の1本を、驚異的な記録で泳いだ。先生に気付いてもらう為だ。がんばった。
しかし米さんはそれでもほとんど関心を示してくれなかった。
生涯現役時代に、ストロークのことを言われたのは、たった一度きりだ。しかも、大事なレースが【終わってから】のことだ。
ロサンゼルスオリンピック選考会、1500mの決勝レース。
後の米さんの話では、飛び込んですぐの私の泳ぎを見た瞬間、米さんは、「あ!だめだ!」と思ったそうだ。
理由は、呼吸後の手の入水の時、頭を水中深めに突っ込むくせが出ていたかららしい。頭を突っ込んでいるレースの時は、絶対に私は記録が低迷し、まともなレースにはならないらしい。
「あ!だめだ!」と、思った泳ぎだったが、その時のレースは、ダメな泳ぎのまま1500mを泳ぎきり、日本高校新記録を樹立。おまけにラストスパートで50mを26.5で泳いだ。
そのレースの後、初めて米さんは私の泳ぎに関することにふれた。一言怒ってからだが。
「あほか!おまえ〜。あんなにラストスパートできるんなら、何で最初からもっと飛ばさんのや〜!」
そう言われて、いつもどおりに何気なく、「すみません」
と答えると、そこで初めて私の泳ぎにふれた。
「飛び込んだ瞬間、あ!、ダメや!と思ったんや、頭が突っ込んでいたからな。しかし、あのまま泳ぎきっちゃったもんな。おまえ、今回、調子いい時の泳ぎだったら、あと15秒早かったんやけどなあ。」
それで私は、自分がそんな癖があるのを知ったのだ。
(早く言ってくれよ〜)
「普段から、ラストばっかり飛ばしているから、ラストはホント強いからなあおまえ〜」
(ラストスパートって、なんか別腹なんだよなあ〜)

それから10年以上経ったある日に、米さんに聞いてみたことがある。なぜ私にストロークの指導をしてくれなかったのか。
米さんの答えは、
「あほ。指導はしてたわ。頭沈めるな!とか言ってやないか。お前は一度言うと、すぐに直せるんや。だからそんなにみっちり指導しなかったんや。」
(俺も言われていたのか・・・・。覚えていないくらい少ない・・・。)
「そもそもお前のストロークは、理想的なんや。誰も真似できん。」
(へえ〜。でも汚い泳ぎだと、結構先輩に馬鹿にされていたけどなあ。)
「お前の泳ぎは、水中のストロークが理想的で、あんなストロークは、俺がいくら指導したって、他の子供にはできん。水上の見える部分は、綺麗に見えないだけや。」
(そうだったのか〜)
「お前は天才タイプや。俺が何か言う方が危険や。多分お前は、野球やっても、何やっても、一流になれたやろうな。環境さえ整っていればな。」
(・・・・・。信じれん。)
「お前はそこに立っているだけで、周りが勝手に、負けた〜っとか思っちゃうやつや。日本選抜合宿で、どれだけ日本のコーチがお前のストロークをビデオで研究したか、知らんやろ。」
(え!全然しらない)
「中央合宿で、お前だけ何度か、水中カメラで泳ぎを撮影しとったやろ?」
(そういえば、そんなことがあったような・・・。)
「お前のターンも、選抜コーチ全員が、研究しとったんや」
(まじかよ)
「ターンの回転は早くないのに、ターンし終わると、出てくるところが必ず他の選手より前に出てるやろ。あれが不思議だったんや。」
(う〜ん・・。ターンは得意だったけど・・・)

そんな会話をして始めて、自分に泳ぎの指導をあまりしなかった、米さんの理由がわかったのだった。
それでも、私はもっと、米さんにストロークを教わりたかったと、今でも思う。きっとそれは、もう米さんがこの世にいないからなのかもかもしれない。
ヒゲがチクチクして、煙草臭くって、いつも手が熱かった米さん。
あの時の会話に支えられ、米さん亡き後も、戦ってこれたと思う。

昨日大失敗した新人社員。新人とは言っても、すでに1年経つ。少し弱いやつ。
昨日は客に呼び出され、さんざんキレられて、4時間以上説教され、係長も飛んで行き、一緒に、ど叱られ、今日は朝から真っ青な顔してた。寝れなかったんだろう。
だから、私は怒らない。
「昨日は大変だったな、ご苦労さん」
誰が悪かったかではない。何が悪かったかについておさらいしよう。
そういって、昨日の失敗の原因を、時系列で戻って対話してみた。
参加したみんなも勉強になってくれたはずだ。
私だから出来る指導法がある。言葉じりの問題ではなく、人間力の問題だ。
私だから伝えられる指導もある。
米さんが信じてくれた私の才能。それはこれからも私の宝物だ。多くの迷う後輩に分け与えようと思う。